マイク選びガイド:スペック徹底解説 ―プロフェッショナル・レコーディングの視点から見る選択のヒント
- STUDIO 407 酒井崇裕

- 2 日前
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1. マイク選びガイド序論:音響変換の物理的接点としてのマイクロホン
録音芸術の世界において、マイクロホンは単なる入力デバイスの枠を超え、空気中の微細な圧力変動(音波)を電気信号(電圧)へと変換する最初の、そして最も決定的なトランスデューサー(変換器)としての役割を担っています。音響エンジニアやプロデューサーが直面する課題は、カタログスペックに記載された無機質な数値を、実際の音場における「質感」「空間表現」「ダイナミクス」といった音楽的なパラメータにいかに翻訳するかという点にあります。マイクロホンの選択は、後段のプリアンプ、コンプレッサー、イコライザーによる処理の成否を決定づける不可逆的なプロセスであり、この段階で失われたトランジェント(過渡)情報や、歪みによって損なわれた明瞭度は、現代のデジタル処理技術をもってしても完全な復元は不可能です。
本レポートでは、欧米の主要なプロフェッショナル音響機器メーカー(Neumann, Shure, DPA, Schoeps, Royer, AEAなど)の技術や一般的な音響工学の知見に基づき、マイクロホンの技術仕様(スペック)の深層を解説します。図解を織り交ぜできるだけ分かりやすいマイク選びガイドになるよう心掛けました。感度、インピーダンス、最大音圧レベル(SPL)、等価雑音レベル、そして指向性の周波数依存性といったパラメータが、物理的にどのようなメカニズムで決定され、それが実用上の録音品質にどう影響するのかを詳細に分析します。さらに、これらの工学的知見を基盤として、ボーカル、ドラム、アコースティック楽器など、具体的なソースに対するマイクロホン選択の論理的なガイドラインを提示します。
2. トランスデューサーの動作原理と過渡応答特性

マイクロホンのスペックシートに現れる数値の差異は、その心臓部であるトランスデューサーの動作原理に起因します。音が電気に変わる瞬間の物理的挙動を理解することは、マイクの「速さ(トランジェントレスポンス)」や「帯域幅」を予測する上で不可欠です。
2.1 ダイナミック型(ムービング・コイル方式)の慣性と堅牢性

ダイナミックマイクは、電磁誘導の法則を利用した発電機のような構造を持ちます。ポリエステルやマイラーなどで作られた振動板(ダイヤフラム)の後部に導体であるボイスコイルが接着されており、これが強力な永久磁石の磁気ギャップ内に配置されています。音波がダイヤフラムを押し動かすと、コイルが磁束を切り、フレミングの右手の法則に従って電流が発生します。
この構造がスペックに与える最も大きな影響は「質量」です。ダイヤフラムとボイスコイルの総質量(Moving Mass)は、他の方式に比べて相対的に重くなります。物理学的に、質量を持つ物体には慣性が働くため、静止しているダイヤフラムを動かし始めるには大きなエネルギーが必要であり、一度動き出したダイヤフラムを止めるにも時間がかかります。
過渡応答(Transient Response)への影響: スネアドラムのアタック音のような急峻な波形(トランジェント)に対し、ダイナミックマイクの波形追従には遅れが生じます。コンデンサーマイクと比較して波形の立ち上がりが鈍り、立ち下がりでも余韻(リンギング)が残る傾向があります。しかし、この「遅さ」や「鈍り」は音楽的には「パンチ感」「太さ」「角の取れたまろやかさ」として知覚され、特にロックやポップスのドラム、ギターアンプにおいて好まれる要因となっています。
周波数特性の限界: 質量の大きさは高域の再生能力を制限します。多くのダイナミックマイク(Shure SM57など)の周波数特性は15kHz〜16kHz付近でロールオフ(減衰)し、コンデンサーマイクのような20kHzを超える超高域の伸びは期待できません。その代わり、特定の周波数帯(プレゼンス域)に機械的な共振点を持たせることで、中域の明瞭度を確保しています。
耐音圧と電源: 構造が単純で堅牢であるため、140dB SPLを超えるような極めて高い音圧にも耐え、外部電源(ファンタム電源)を必要としません(アクティブ型を除く)。
2.2 リボン型(ベロシティ・マイク)の繊細さと双指向性

リボンマイクも電磁誘導を利用しますが、その構造はムービングコイルとは一線を画します。強力な磁極の間に、厚さ数ミクロン(1.8〜2.5ミクロン程度、人間の髪の毛の約1/50)という極めて薄いアルミニウム箔(リボン)が吊るされています。リボン自体がダイヤフラムと導体の両方の役割を果たします。
極低質量による高速応答: リボンの質量は極めて小さく、空気分子の微細な運動エネルギーに瞬時に反応します。このため、トランジェントレスポンスはダイナミック型よりも遥かに優れており、コンデンサー型に匹敵、あるいは聴感上の自然さにおいてはそれを凌駕する場合があります。シンバルや金管楽器のアタックを正確に、かつ耳障りな「リンギング」なしに捉える能力に長けています。
純粋な双指向性: 構造上、リボンの前面と背面が開放されているため、音波の圧力差(圧力勾配)によって駆動されます。これにより、物理的に完全な「双指向性(フィギュア8)」のパターンを形成し、側面(90度、270度)からの音に対しては感度がほぼゼロになります(ヌルポイント)。この強力な側面遮音性は、スタジオ内での被り(ブリード)を防ぐ上で非常に有効です。
出力の低さとインピーダンス: 従来のリボンマイク(パッシブ)は、発生する電圧が非常に微弱であり、トランスによって電圧を昇圧していますが、それでも感度は低めです(-50dBV〜-60dBV程度)。また、インピーダンスの影響を受けやすく、プリアンプの入力インピーダンスが低いと、低域が削げたり高域が劣化したりする現象が発生します。
2.3 コンデンサー型(静電容量方式)の精密さと広帯域

コンデンサーマイクは、静電容量(キャパシタンス)の変化を電圧に変換します。極薄の金蒸着マイラーなどのダイヤフラムと、固定されたバックプレートがコンデンサーを形成し、音波によるダイヤフラムの変位が静電容量の変化を生み出します。
質量と感度: コンデンサーのダイヤフラムは非常に軽量であり、コイルのような重量物がないため、トランジェントレスポンスは極めて高速です。これにより、20kHz以上の超高域までフラットに伸びる周波数特性と、微細な空気の動き(アンビエンスや倍音)を捉える高い感度(20mV/Pa以上)を実現しています。
電源と回路: コンデンサーを形成するための電荷を供給する「成極電圧(バイアス)」と、カプセルの極めて高いインピーダンス(ギガオーム単位)を扱いやすいレベルに下げるための「インピーダンス変換回路(FETや真空管)」が必要です。これらを駆動するために、ファンタム電源(+48V)や専用電源ユニットが必須となります。
DCバイアス vs エレクトレット: 伝統的なDCバイアス型(Neumann U87など)は外部から電圧をかけますが、エレクトレット型(DPA 4006など)はバックプレート等に半永久的な電荷を持つ素材を使用します。現代のエレクトレット技術は成熟しており、測定用マイクの基準となるほど高い安定性と性能を持っています。
以下の表は、トランスデューサー形式による一般的な特性の比較です。
特性 | ダイナミック (Moving Coil) | リボン (Ribbon) | コンデンサー (Condenser) |
動作原理 | 電磁誘導 | 電磁誘導 | 静電容量変化 |
ダイヤフラム質量 | 重い (コイルを含む) | 極めて軽い (アルミ箔のみ) | 非常に軽い (フィルム) |
過渡応答 (Transient) | 遅い (パンチ感) | 速い (自然・滑らか) | 非常に速い (詳細・高解像度) |
感度 | 低い (-50 ~ -60 dBV) | 非常に低い (-50 ~ -60 dBV) | 高い (-30 ~ -40 dBV) |
周波数特性 | 帯域制限あり (中域重視) | 高域ロールオフ・中低域豊か | 広帯域・フラット (20Hz-20kHz) |
電源 | 不要 | 不要 (Activeは必要) | 必要 (+48V / T-Power) |
耐久性 | 非常に高い | 衝撃・風圧に弱い | 湿気・衝撃に弱い |
3. マイクロホン仕様(スペック)の解読:数値と実音の相関関係
スペックシートはマイクの性能を客観的に示すものですが、その数値が実際のレコーディングでどのような意味を持つのかを正しく解釈するには、測定条件や対数(dB)の概念を理解する必要があります。
3.1 感度 (Sensitivity):電圧変換効率とゲインステージング
感度は、マイクが一定の音圧に対してどれだけの電圧を出力できるかを示す指標です。

測定基準: 一般的に、1kHzの正弦波を94dB SPL(1パスカル、1Pa)の音圧で入力した際の出力電圧(Open Circuit Voltage)で測定されます。

実用上の意味とプリアンプ選定:
高感度(-30dBV 〜 -40dBV): コンデンサーマイクなど。出力が大きいため、プリアンプのゲインをあまり上げる必要がありません。ノイズの少ないクリアな録音が可能ですが、大音量ソースではプリアンプの入力段を歪ませるリスクがあるため、Pad機能が必要になる場合があります。
低感度(-50dBV 〜 -60dBV): ダイナミックマイク(Shure SM7B: -59dBV)やリボンマイク。出力が非常に小さいため、静かなソース(ナレーションやアコースティックギター)を録音する場合、プリアンプのゲインを60dB以上上げる必要があります。この際、プリアンプ自体の性能が低いと「サー」というヒスノイズが目立つことになります。したがって、低感度マイクを使用する際は、低ノイズかつ高ゲイン(High Gain, Low Noise)なプリアンプ、あるいはCloudlifterのようなインライン・ゲインブースターが必須となります。
3.2 等価雑音レベル (Equivalent Noise Level / Self-Noise)
マイク自身が回路や抵抗から発生するノイズ(セルフノイズ)の量を表します。
測定規格の違い:
A-Weighted (dB-A): 人間の聴覚特性(ラウドネス曲線)に合わせて低域をカットして評価した値。一般的にカタログで強調されるのはこの数値であり、低いほうが優秀とされます。10dB-A以下は超低ノイズ、15-20dB-Aは標準的、25dB-A以上はノイズが目立つとされます。
CCIR 468-4 (dB): 聴感上耳障りな中高域のノイズを厳密に測定する規格。A-Weightedよりも数値が大きく出る(10〜12dB程度高い)ため、プロフェッショナルな比較ではこちらを参照する場合もあります。
実用上の判断:
Neumann TLM 103 (7dB-A) や Rode NT1 (4.5dB-A) のような超低ノイズマイクは、ASMRやクラシックのピアニッシモ部分、ナレーション録音など、静寂が重要なソースで威力を発揮します。
一方、ドラムやギターアンプのような大音量ソースでは、マイクのセルフノイズよりも周囲の環境ノイズや楽器の音量の方が圧倒的に大きいため、セルフノイズの数値は重要視されません。
3.3 最大音圧レベル (Maximum SPL) と全高調波歪 (THD)

マイクが信号を歪ませることなく耐えられる最大の音圧レベルです。
定義: 通常、全高調波歪(THD)が0.5%または1%に達する時点のSPL値で定義されます。
数値の落とし穴: 0.5% THDでのMax SPLと、1% THDでのMax SPLでは、後者の方が高い数値になります。比較の際はTHDの基準を揃える必要があります。例えば、Schoepsのマイクは0.5% THDで規定されていることが多いです。
楽器の最大音圧:
トランペット(ベル付近): ~128 dB SPL
キックドラム: ~140 dB SPL
ボーカル(至近距離の叫び): ~135 dB SPL
実用上の注意: Max SPLが120dB程度のマイクをキックドラムに使用すると、カプセルや内部回路が飽和し、不快なクリッピングノイズが発生します。このような用途には、140dB〜150dB以上の耐入力を持つマイク(Shure Beta 52A, Sennheiser MD421など)を選択するか、-10dB/-20dBのパッドスイッチを活用する必要があります。
3.4 インピーダンス (Impedance) の整合性

出力インピーダンス: マイク側が持つ抵抗値。通常、プロ用マイクは低インピーダンス(50Ω〜200Ω程度)です。
負荷インピーダンス (Rated Load Impedance): マイクが接続されるプリアンプ側の推奨入力インピーダンス。一般的に、マイクの出力インピーダンスの5倍〜10倍以上(1kΩ以上)が望ましいとされています(ロー出しハイ受けの原則)。
リボンマイクの特異性: パッシブリボンマイクはインピーダンスの影響を強く受けます。プリアンプの入力インピーダンスが低いと、リボンに電磁制動(ダンピング)がかかりすぎ、低域が痩せたり、全体的な感度が下がったりする現象が起きます。AEAやRoyerなどのリボンマイクメーカーは、リボンマイク専用の高インピーダンス(10kΩ〜68kΩ以上)プリアンプを推奨しています。
4. 指向特性(ポーラパターン)の物理学と周波数依存性
指向性は、マイクが空間の音をどのように切り取るかを決定しますが、これは単一の図形で表されるほど単純ではありません。周波数ごとの挙動変化や、軸外(オフアクシス)の音色変化を理解することが、プロフェッショナルなマイキングの鍵となります。
4.1 圧力型と圧力勾配型
指向性は、トランスデューサーが音圧(Pressure)を感じるか、音圧差(Pressure Gradient)を感じるかによって決定されます。

無指向性 (Omnidirectional): 「圧力型」。ダイヤフラムの片面のみが開放され、裏面は密閉されています。音圧の変化のみを感知するため、音の到来方向に関係なく感度が一定です。物理的に近接効果が発生しない唯一の形式です。
単一指向性 (Cardioid): 「圧力勾配型」と「干渉型」の組み合わせ。背面からの音を遅延させてダイヤフラム裏面に導き、正面からの音圧と位相差を利用して打ち消し合う(キャンセルする)ことで指向性を作ります。
双指向性 (Figure-8): 「純粋な圧力勾配型」。ダイヤフラムの両面が完全に開放されています。前面と背面にかかる音圧の差(勾配)で振動するため、真横(90度)からの音は両面に同時に到達し、圧力差ゼロとなってキャンセルされます(ヌルポイント)。
4.2 指向性の周波数依存性
スペックシートのポーラパターン図を見ると、1kHz、4kHz、8kHzといった周波数ごとに異なる線が描かれていることに気づくはずです。
高域の狭窄(Beaming): 物理法則として、マイクの筐体やダイヤフラムのサイズに対して波長が短くなる(周波数が高くなる)ほど、指向性は鋭くなる傾向があります。無指向性マイクであっても、超高域ではマイク本体が遮蔽物となり、背面からの音に対して感度が落ちます(高域のみ指向性を持ちます)。
低域の拡散: 逆に、波長が長い低域では、多くの単一指向性マイクが指向性を維持できず、無指向性に近づいていきます。これは、背面からの音をキャンセルするための位相差が、波長の長い低域では十分に機能しなくなるためです。
4.3 オフアクシス(軸外)カラーレーション
マイクの正面(オンアクシス)以外から入ってくる音(部屋の残響、他の楽器の被り)の音質変化を「オフアクシス・カラーレーション」と呼びます。

良質なマイクの条件: 優れたマイク(Schoeps MK4, DPA 4011など)は、軸外の音が単にレベルが下がるだけで、周波数バランス(音色)は大きく変わらないように設計されています。これにより、被り音が自然に聞こえ、ミックス時に位相干渉による違和感が生じにくくなります。
安価なマイクの問題: 設計が甘いマイクは、軸外の特性が暴れており、横から入る音がこもったり、特定の帯域だけ位相が回ったりします。これが「濁ったミックス」の主原因となることが多いです。
対処法: 響きの悪い部屋で録音する場合や、アンサンブルの一斉録音では、軸外特性の優れたマイクを選ぶことが、メインの音源をクリアに保つための秘訣です。
4.4 近接効果 (Proximity Effect) のメカニズムと制御
指向性マイク(圧力勾配型)を音源に近づけると、低域が指数関数的に増強される現象です。

物理的要因: 音源に近づくと、球面波の性質により、ダイヤフラムの前面と背面へ到達する音波の距離差による圧力差(逆二乗則の影響)が、位相差よりも支配的になります。これが低周波数帯域で顕著な出力増加を引き起こします。
ブースト量: 一般的なカーディオイドマイクでは、音源から数センチの距離で、100Hz以下が6dB〜10dB以上ブーストされることがあります。双指向性マイクは構造上、最も近接効果が強く現れます。
実用と制御:
ボーカル: 声を太く、親密にするために積極的に利用されます。
楽器: アコースティックギターのサウンドホールに近づけすぎると「ブーミー」になりすぎるため、マイクを離すか、無指向性マイク(近接効果なし)を使用する、あるいはローカットフィルター(HPF)を入れることで対処します。
4.5 クリティカル・ディスタンス (Critical Distance)
室内において、直接音(Direct Sound)と反射音(Reverberant Sound)のレベルが等しくなる距離のことです。
マイク配置の指標: クリティカル・ディスタンスより内側(音源寄り)に置けば直接音が支配的になり、外側に置けば部屋鳴りが支配的になります。
指向性との関係: 指向性マイクは無指向性マイクに比べて、直接音に対する感度が高いため、クリティカル・ディスタンスが遠くなります(より離れても直接音を捉えられます)。一般的に、無指向性を1とすると、カーディオイドは約1.7倍、超単一指向性は約1.9倍の距離まで離すことができます。
5. ステレオ録音技術とマイクスペック
ステレオ録音では、2本のマイクのスペックの一致(マッチング)と、方式による空間再現性の違いを理解する必要があります。
5.1 ステレオ方式と要求スペック
方式 | 構成 | 原理 | 推奨マイク特性 | 特徴 |
XY | 単一指向性 x2 (同軸・90度) | 強度差 (Level Diff) | マッチドペア必須 | 定位が明確、モノラル互換性が高い。広がりは控えめです。 |
AB | 無指向性 x2 (平行配置) | 時間差 (Time Diff) | 無指向性 (Omni) | 広大な空間表現、豊かな低域。位相干渉に注意が必要です。 |
ORTF | 単一指向性 x2 (110度・17cm間隔) | 強度差 + 時間差 | カーディオイド | 人間の聴覚に近い自然な定位と広がりが得られます。 |
MS (Mid-Side) | Mid(単一) + Side(双指向) | 強度差 (演算処理) | Sideは双指向性必須 | 録音後にステレオ幅を調整可能。位相崩れがありません。 |
Blumlein | 双指向性 x2 (同軸・90度) | 強度差 | 双指向性 (Ribbon等) | 極めてリアルな空間再現と奥行き。良質なルームアンビエンスが必要です。 |
マッチドペアの重要性: XYやBlumleinのような強度差方式では、左右のマイクの感度や周波数特性が完全に一致していないと、音像(センター定位)が左右にふらついたり、特定の周波数だけ移動したりします。メーカーが出荷時に選別した「マッチドペア」を使用することが推奨されます。
6. 実践的マイクロホン選択ガイド:ソース別アプローチ
6.1 ボーカル (Vocals)
ボーカルは楽曲の顔であり、最も慎重な選択が求められます。
コンデンサーマイク (LDC):
推奨: Neumann U87Ai, TLM 103, AKG C414。
理由: 高い感度と速いトランジェントレスポンスが、声の微細なニュアンス、息遣い、倍音成分を余すことなく捉えます。
注意点: 部屋の鳴りやリップノイズも拾いやすいため、吸音処理されたブースやポップガードが必須です。シビランス(サ行の歯擦音)が強いシンガーには、高域が強調されたモダンなマイクは不向きな場合があります。
ダイナミックマイク:
推奨: Shure SM7B, Electro-Voice RE20, Sennheiser MD421。
理由: 感度が低いため、部屋の反響やエアコンノイズを拾いにくい特性があります。近接効果を利用して声を太く、親密にすることができます。叫ぶようなロックボーカルや、未処理の部屋でのポッドキャスト収録に最適です。
ゲイン: SM7Bなどは出力が低いため、+60dB以上のクリーンなゲインを持つプリアンプか、Cloudlifter等のブースターが必要です。
リボンマイク:
推奨: Royer R-121, AEA R84。
理由: デジタル録音で声が「痛い」「細い」と感じる場合に有効です。高域を自然にロールオフし、イコライザーで持ち上げても破綻しない滑らかな質感を与えます。
6.2 ドラムス (Drums)
キック (Kick):
推奨: AKG D112, Shure Beta 52A(ダイナミック)。
理由: 140dBを超える音圧に耐える堅牢性と、低域(50-100Hz)とアタック(3-5kHz)があらかじめEQされた周波数特性を持ちます。
スネア (Snare):
推奨: Shure SM57(ダイナミック)。
理由: 中域のプレゼンスピークがスネアのアタックを強調します。スティックで叩かれても壊れない耐久性があります。トップに57、ボトムにコンデンサー(スナッピー用)を組み合わせる手法も一般的です。
オーバーヘッド (Overheads):
推奨: Neumann KM184, AKG C414(ペア)。
理由: シンバルの高域トランジェントを正確に捉えるため、小口径コンデンサー(SDC)が好まれます。SDCはオフアクシス特性が良いため、キット全体のステレオイメージが自然になります。
6.3 ギター (Guitars)
アコースティックギター:
推奨: スモールダイアフラムコンデンサー (Schoeps MK4, Neumann KM184)。
理由: 軽いダイヤフラムが、弦の速いアタックとボディの複雑な共鳴を正確に追従します。12フレット付近を狙うのが定石ですが、オフアクシス特性の良いマイクなら、少し離して全体像を捉えることも可能です。
エレクトリックギターアンプ:
推奨: Shure SM57 + Royer R-121 (リボン)。
理由: SM57が中域の「バイト感」を、R-121がキャビネットの「箱鳴り」と「太さ」を捉えます。リボンマイクはデジタル臭い高域の歪み(Fizz)を滑らかにする効果があります。
6.4 ピアノ・弦楽器
ピアノ:
推奨: 無指向性マイク (DPA 4006) や LDC (AKG C414)。
理由: ピアノの最低音(A0=27.5Hz)までフラットに拾うには無指向性が有利です。また、広い響板全体をカバーするため、AB方式やORTF方式でステレオ録音を行います。
7. アクティブ・リボンマイク技術とインピーダンス問題の解決
近年普及している「アクティブ・リボンマイク」(例:AEA R84A, Royer R-122)は、従来のリボンマイクの課題を克服するために開発されました。
パッシブ・リボンの課題: 低出力かつ低インピーダンスであるため、プリアンプとのマッチングがシビアです。入力インピーダンスが低いプリアンプに接続すると、電磁制動により低域が痩せ、高域が落ちます。また、S/N比を確保するために高性能なプリアンプが必要となります。
アクティブ回路の導入: マイク内部にファンタム電源で駆動するバッファーアンプ/インピーダンス変換回路を搭載することで、以下のメリットを実現しています。
高出力: コンデンサーマイク並みの出力レベルが得られ、一般的なオーディオインターフェースでも十分な音量で録音可能です。
一定のインピーダンス: どのようなプリアンプに接続しても、リボン本来の周波数特性が保たれます。
ケーブル長の影響排除: 長いケーブルを引き回しても高域劣化が起きません。
8. メンテナンスと保管:性能維持のための必須知識
マイクロホン、特にコンデンサー型とリボン型は環境変化に敏感な精密機器です。
8.1 湿気対策(コンデンサーマイク)
コンデンサーマイクのカプセルは、高インピーダンス回路であるため、湿気による絶縁低下に極めて弱いです。湿度が高いと「バリバリ」「ボソボソ」という放電ノイズが発生したり、出力が低下したりします。
保管: デシカント(シリカゲル等)を入れた密閉容器や、防湿庫での保管が必須です。シリカゲルは吸湿能力に限界があるため、定期的な交換や再生が必要です(開放状態で約30分で吸湿能力が半減するというデータもあります)。
使用後: ボーカル録音直後は呼気に含まれる湿気がカプセルに付着しているため、すぐにケースに密閉せず、風通しの良い場所で数時間乾燥させてから保管します。
8.2 風圧と磁性体(リボンマイク)
リボンマイクのアルミニウム箔は、強い空気の流れで容易に伸びたり破断したりします。
厳禁事項: マイクに向かって息を吹きかけるテスト、バスドラムの空気穴(ポート)の真正面への配置、ファンタム電源ON時のTRSケーブルの抜き差し(ショートによるリボン溶断のリスク)は避けるべきです。
保管: リボンが自重で垂れ下がって伸びるのを防ぐため、垂直に立てて保管することが推奨されるモデルもあります。また、強力な磁石が空気中の鉄粉を引き寄せてギャップに入り込むのを防ぐため、使用しないときは必ずビニール袋や専用ソックスで覆います。
9. 結論
マイクロホンのスペックシートに記載された数値は、単なる技術データではなく、そのマイクが持つ「物理的な振る舞い」の記述です。

感度は、必要なプリアンプのグレードとS/N比を決定します。
質量(トランスデューサー形式)は、トランジェントの鋭さと音の「質感」を決定します。
指向性と周波数特性は、空間の広がりと「被り」の質を決定します。
Max SPLは、歪みのないクリーンな収音の限界を決定します。
エンジニアは、これらの数値を「良い/悪い」で判断するのではなく、「適材適所」の根拠として利用すべきです。例えば、ダイナミックマイクの「遅い」トランジェントは、鋭すぎるデジタル録音を音楽的にまとめるための「機能」であり、コンデンサーマイクの「繊細さ」は、演奏の息遣いを伝えるための「武器」です。本レポートで詳述した物理的メカニズムと実践的ガイドラインを融合させることで、録音意図に合致した最適なマイクロホン選択が可能となるでしょう。




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