プロデューサー研究:ウォルター・レッグとジョン・カルショー:ライバル関係の相克 ー記録の彫刻家か、音響の建築家かー
- STUDIO 407 酒井崇裕

- 2025年9月8日
- 読了時間: 25分
更新日:2025年9月14日
序論:20世紀クラシック録音の黄金時代を築いた二人の巨匠 ウォルター・レッグとジョン・カルショー
20世紀半ばのクラシック音楽録音の歴史は、二人の対照的な巨匠、EMIのウォルター・レッグとDeccaのジョン・カルショーによって、その方向性が決定づけられたと言っても過言ではないでしょう。彼らは単なるレコードプロデューサーではなく、録音というメディアの芸術的可能性を根本から問い直し、それぞれの信念に基づいて録音史に不滅の金字塔を打ち立てた思想家でした。レッグは、理想的な演奏会の完璧な記録を追求した「記録の彫刻家」であり、一方のカルショーは、リスナーの心の中に壮大な仮想空間を構築した「音響の建築家」でした。この二人の哲学は、クラシック録音の目的そのものをめぐる根源的な二元論を提示しています。
本稿の目的は、レッグの「完璧なる記録」の美学と、カルショーの「心の劇場」の創造という、両者の録音哲学の間の本質的な差異を明らかにすることにあります。しかし、この哲学的対立が単なる個人の芸術的嗜好の問題でなかったことを論証することが、本稿の核心的な主題です。むしろ、この対立は、彼らが所属したレーベル(EMIとDecca)の技術力、モノラルからステレオへと移行する録音メディアの制約と可能性、そして両社間の熾烈な商業的競争という、三つの要素が動的に絡み合った必然的な産物でした。レッグのモノラルへの固執と、カルショーのステレオへの情熱は、それぞれの時代背景と企業戦略の中で育まれた、芸術と商業、そして技術が織りなす複雑な物語の一部なのです。
以下の比較表は、本稿全体で詳述する両者の対立構造を概観するための枠組みです。この枠組みに沿って、彼らの思想の根源、技術との関係、そして商業的ライバル関係が彼らの制作手法に与えた影響を深く掘り下げていきます。

ウォルター・レッグとジョン・カルショーの録音哲学比較
項目 | ウォルター・レッグ (EMI) | ジョン・カルショー (Decca) |
中核哲学 | 完璧なる記録 (The Perfected Document) | 心の劇場 (The Theatre of the Mind) |
美的目標 | 理想的な演奏会体験の、完璧で磨き上げられた記録。演奏の彫琢。 | 録音を独立した芸術形式と捉え、リスナーの心に仮想の舞台を創造する。 |
録音の役割 | 演奏という現実を「記録」し、完璧化するもの。 | 楽譜という設計図から、音響による新たな「現実」を構築するもの。 |
好んだメディア | モノラル。焦点を絞った統一的な音像を重視。ステレオには懐疑的。 | ステレオ。空間性、方向性、スペクタクルを最大限に活用。 |
プロデューサーの役割 | 独裁的芸術監督。演奏家、解釈、音響の全てを支配する。 | 映画監督、舞台演出家。チームを率いて音響ドラマを創造する。 |
技術との関係 | 保守的。技術は演奏の忠実な記録のために奉仕すべきものと考える。 | 革新的。新技術(ステレオ)の芸術的可能性を積極的に探求。 |
演奏家との関係 | 支配的、介入的。自身の理想を実現するための「楽器」として演奏家を捉える。 | 協力的、コンセンサス重視。共通の目標に向かうチームの一員として尊重。 |
代表的プロジェクト | カラヤン指揮フィルハーモニア管との一連の録音、カラスのオペラ録音。 | ショルティ指揮ウィーン・フィルによるワーグナー『ニーベルングの指環』全曲録音。 |
所属レーベル | EMI (His Master's Voice / Columbia) | Decca |
第1章:ウォルター・レッグと「完璧なる記録」の美学
1.1 EMIの独裁者:その経歴と影響力
ウォルター・レッグ(1906-1979)は、単なるプロデューサーではなく、戦後EMIのクラシック部門を自らの帝国として築き上げた絶対君主でした。音楽評論家としてキャリアをスタートさせた彼は、鋭い審美眼とビジネスセンスを武器に、HMV(後のEMI)で急速に頭角を現しました。彼の最も画期的な功績の一つは、1945年に自らの手でフィルハーモニア管弦楽団を創設したことです。これは単に新しいオーケストラを作ったという以上の意味を持っていました。レッグにとってフィルハーモニア管は、彼の芸術的ビジョンを寸分の狂いもなく実現するための、完璧に調整された「録音専用の楽器」でした。
さらに、彼の「タレント・スカウト」としての能力は伝説的でした。戦後の混乱期にあったウィーンに拠点を構え、ヘルベルト・フォン・カラヤン、エリーザベト・シュヴァルツコップ(後の妻)、マリア・カラスといった才能をいち早く見出し、EMIの専属アーティストとして契約を結びました。これらのスター演奏家たちの存在は、EMIのカタログを比類なきものにし、商業的成功の盤石な基盤を築きました。レッグは、アーティスト、オーケストラ、レパートリーの選定から録音の最終的な音響バランスに至るまで、制作の全権を掌握し、その独裁的なスタイルでEMIの黄金時代を統治したのです。
1.2 モノラル録音の擁護者:理想的聴取の追求
ステレオ技術が商業化されつつあった1950年代後半、レッグはこの新しい技術に対して深い懐疑の念を抱き、可能な限り長く抵抗しました。この抵抗は、単なる保守主義や新しいものへの嫌悪感から生じたものではありません。それは、彼の録音美学の根幹に関わる哲学的な立場表明でした。レッグが目指したのは、コンサートホールの最高の席に座る一人の理想的な聴衆が体験するであろう、完璧にバランスの取れた音響空間のシミュレーションでした。
この目標を達成するためには、モノラル録音こそが理想的なメディアでした。モノラルは、すべての音源を一つのチャンネルに集約し、焦点を絞った統一的な音像を提示します。プロデューサーは、この単一の音場における各楽器や声部のバランスを、あたかも彫刻家が粘土を捏ねるように、自らの意図通りに完璧にコントロールすることができるのです。完成したモノラル録音は、特定の視点から鑑賞されるべき、完結した芸術的「オブジェクト」でした。
彼のステレオへの抵抗は、プロデューサーとしての絶対的な権威を守るための闘いでもありました。ステレオ録音は、左右のチャンネルに空間情報を与えることで、リスナー側に音響を再構築する余地を残します。スピーカーの配置、部屋の音響特性、リスナーの聴取位置といった、プロデューサーがコントロールできない無数の変数が、最終的な聴取体験に影響を与えてしまいます。それは、固定された「オブジェクト」ではなく、可変的な「環境」を創造することに他なりません。レッグにとって、これは自らが丹念に作り上げた完璧な芸術作品の最終的なコントロールを、素人であるリスナーの手に委ねてしまうに等しい、許容しがたい譲歩でした。彼が求めたのは、誰がどこで聴こうとも揺らぐことのない、絶対的で完成された音楽的声明であり、モノラルこそがその野心を実現するための唯一の正しいメディアだったのです。
1.3 演奏の彫琢:プロデューサーによる芸術的介入
レッグのプロデューサーとしての役割は、演奏を忠実に記録することではありませんでした。彼の仕事は、生演奏に内在する偶発性や不完全さを排除し、楽譜の理想的な姿を音盤の上に永遠に刻み込む「彫琢」の作業でした。彼は積極的に芸術的判断に介入し、時には指揮者や演奏家以上の権威を振るいました。カラヤンが1950年代にフィルハーモニア管と残した一連の録音は、レッグの影響を色濃く反映しており、オーケストラの音色そのものがレッグの美学によって形成されたと言われます。
彼の編集方針を最も象徴的に示すのが、モーツァルトのオペラ『魔笛』の扱いです。彼はビーチャム、カラヤン、クレンペラーという3人の異なる指揮者とこの作品を録音しましたが、そのすべてにおいて、物語の進行に不可欠な台詞部分を削除しました。これは、レッグが録音を演劇的な体験ではなく、純粋に音楽的なドキュメントとして捉えていたことの証左です。彼にとって、台詞は音楽の完璧な流れを阻害する「不純物」であり、録音という理想的な形式においては排除されるべきものでした。演奏家との関係も、彼のこの哲学を反映していました。要求がましく、冷酷な完璧主義者として知られる彼は、自らの芸術的理想を実現するため、演奏家を厳しく統制しました。彼のスタジオは、共同創造の場ではなく、レッグという絶対的な芸術監督の指示のもと、完璧な記録が作り上げられる工房でした。
1.4 ステレオ時代への抵抗と適応
商業的な圧力と技術の趨勢には抗えず、レッグも1950年代後半からステレオ録音を手がけるようになります。しかし、彼がステレオというメディアを用いても、その根底にある美学は変わりませんでした。彼のステレオ録音は、本質的に「モノラル的に構想された」ものでした。

ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』(ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮、1952年)
モノラル録音の金字塔として名高いこの録音は、レッグの美学の頂点を示す作品と言えるでしょう。彼は、フルトヴェングラーの壮大で有機的な音楽解釈と、手塩にかけて育てたフィルハーモニア管弦楽団の卓越した演奏能力を、完璧な音響バランスで捉えることに成功しました。当時最新のテープ技術を駆使することで、SPレコードの4分という時間的制約から解放され、フルトヴェングラーが描く長大な音楽の流れを途切れさせることなく記録することが可能になりました。キルステン・フラグスタートによるイゾルデの圧倒的な歌唱と共に、この録音はレッグが目指した「理想的な演奏の、完璧で磨き上げられた記録」そのものであり、時代を超えて聴き継がれる不滅の遺産となっています。
カラヤン指揮『ばらの騎士』(1956年)
この録音は、モノラルとステレオの両方で制作された、レッグのキャリアにおける重要な過渡期の作品です。ステレオ版を聴くと、カルショーのようなスペクタクルな音響効果とは一線を画していることがわかります。音場は洗練され、バランスは細心の注意を払ってコントロールされており、シュヴァルツコップの歌声がオーケストラの中から「気づかれないほど自然に現れる」様は、突出したソリストを嫌い、全体の調和を重んじるレッグならではの音作りです。彼はステレオを、演劇的な空間を創造するためではなく、モノラルでは実現し得なかった各声部の分離の良さ(透明性)と、理想的なコンサートホールの響きの深みを加えるための手段として用いました。
クレンペラー指揮『フィデリオ』(1962年)
この晩年のステレオ録音は、しばしば同時代のライブ録音と比較され、演劇的な迫力に欠けると評されることがあります。しかし、この批判こそがレッグの哲学を逆説的に証明しています。彼の目的は、舞台の生々しいドラマを再現することではなく、スタジオという管理された環境で、音楽的に完璧で、建築的に強固な構造を持つ音響的記念碑を打ち立てることにありました。クレンペラー自身の晩年の様式とも通じるこのアプローチは、演劇性を犠牲にしてでも、音楽作品の普遍的で絶対的な形式美を追求するレッグの信念の現れでした。
結局のところ、レッグはステレオ技術を、自らの長年の美学を拡張、洗練させるためのツールとして捉えていました。彼は音の「舞台」を創造しようとしたのではなく、自らが作り上げた完璧な「彫刻」に、さらなる奥行きと鮮明さを与えようとしたのです。それは、新しいパラダイムへの移行ではなく、旧来のパラダイムの、より高忠実度な完成形でした。
第2章:ジョン・カルショーと「心の劇場」の創造
2.1 Deccaの革新者:そのビジョンと挑戦
ウォルター・レッグが確立された権威の象徴であったとすれば、ジョン・カルショー(1924-1980)は、その権威に果敢に挑戦した革命家でした。独学で音楽を学び、文筆家としてキャリアをスタートさせた彼は、レッグのような音楽界のエリートではありませんでした。しかし、彼には旧来の慣習に囚われないラディカルなビジョンがありました。
彼の思想形成において決定的に重要だったのが、1953年から1955年にかけてのキャピトル・レコードでの不遇な経験です。当時、カルショーは指揮者オットー・クレンペラーとの契約を本社に進言しましたが、官僚的な経営陣に阻まれました。そのクレンペラーと後に契約し、数々の名盤を生み出したのが、EMIのウォルター・レッグでした。さらに決定的だったのは、キャピトルがステレオという次世代技術の導入に完全に乗り遅れていたことです。この経験を通じて、カルショーは「技術こそが録音芸術の未来を切り拓く」という信念を固め、旧弊な業界の体質に強い不満を抱きました。1955年にDeccaに復帰した彼の胸中には、ステレオフォニック・サウンドの芸術的可能性を、特にオペラの分野で最大限に解放するという明確な使命感が燃え上がっていました。
2.2 ステレオ音響の伝道師:「ソニックステージ」の誕生
カルショーの哲学は、レッグのそれとは正反対の地点から出発します。彼にとって、録音は単なる演奏の「記録」ではなく、リスナーの心の中にイマジネーション豊かな「劇場」を創造する、独立した芸術作品でなければなりませんでした。彼は、バイロイト音楽祭でのライブ録音の経験から、生演奏の録音は技術的な欠陥が多く、音響的にも演劇的にも不完全であると断じました。彼の目標は、スタジオの管理された環境と最新技術を駆使して、実際のオペラハウスでは決して体験できないような、完璧に演出された音響ドラマを創造することにあったのです。
この哲学を具現化したのが、Deccaのマーケティング部門が「ソニックステージ(Sonicstage)」と名付けた録音コンセプトです。これは、ステレオの左右の広がり、奥行き、そして音源の移動を巧みに利用して、リスナーの頭の中に鮮明で具体的な仮想の舞台を立ち上げる試みでした。歌手は特定の場所に定位するだけでなく、物語の進行に合わせて動き回り、効果音はリアルな臨場感を生み出します。カルショーは、視覚情報がないというレコードのハンディキャップを、聴覚情報を最大限に豊かにすることで補い、むしろそれを凌駕しようとしたのです。
2.3 ヴァーチャルワールドの構築:『ニーベルングの指環』を例に
カルショーの「心の劇場」というビジョンが、その最も壮大かつ完璧な形で実現されたのが、ゲオルク・ショルティ指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』全曲録音(1958-1965)です。当時、この巨大なプロジェクトは商業的に無謀と見なされ、ライバルであるEMIのレッグは「売れるはずがない」と一蹴したと言われています。しかし、カルショーはこの前人未到の挑戦を敢行し、録音史を塗り替える金字塔を打ち立てました。
この録音の革新性は、その具体的な制作技術に見て取れます。
歌手の動きの演出: カルショーはスタジオの床にグリッド(格子)を設け、歌手たちに台本のト書き通りに動くことを要求しました。これにより、声が近づいたり遠ざかったり、左右に移動したりといった聴覚的な遠近法が生まれ、リスナーはあたかも舞台上の出来事を目の当たりにしているかのような感覚を得ることができました。
楽譜の忠実な音響化: 彼はワーグナーのスコアに書かれた指示を、オペラハウスでの慣習的な妥協を一切排し、文字通りに音響化しました。『ラインの黄金』で要求される18台の鉄床(かなとこ)や、『ワルキューレ』で指定されるシュティールホルン(Steerhorn)を実際に用意し、録音したことはその象徴です。これは、劇場での上演以上に作曲家の本来の意図に忠実な音響世界を創造する試みでした。
リスナー中心の音響設計: 全ての音響は、最終的に家庭のステレオ装置で聴くリスナーの視点から設計されました。これにより、視覚的要素の欠如を補って余りある、内面的で強烈なドラマ体験がもたらされました。
このデッカ・リングの登場は、楽譜、演奏、録音の関係性におけるパラダイムシフトを意味していました。レッグに代表される伝統的な考え方では、録音の役割は楽譜の「演奏」を記録することであり、その序列は「楽譜 → 演奏 → 録音」でした。しかし、カルショーはこの階層を根底から覆しました。彼にとって、録音は楽譜のポテンシャルを直接的に「実現」するものであり、演奏はそのための素材に過ぎませんでした。序列は「楽譜 → 録音」へと変化したのです。彼は、録音技術を駆使することで、生演奏の物理的制約を超え、作曲家が想像したであろう理想の音響世界を創造できると考えました。この思想は、プロデューサーを単なる記録者から、舞台監督や映画監督に匹敵する、テクノロジーを駆使する第一線の創造的芸術家へと昇華させるものでした。
2.4 協力とコンセンサス:カルショーの制作スタイル
独裁的であったレッグとは対照的に、カルショーの制作スタイルはチームワークとコラボレーションを重視するものでした。彼の回想録は、デッカ・リングの成功が、指揮者のショルティ、ウィーン・フィルの楽員、そしてエンジニアチーム全員の協力の賜物であったことを繰り返し強調しています。
特に、チーフエンジニアであったケネス・ウィルキンソンをはじめとする技術チームとの関係は、相互の尊敬に基づいた創造的なパートナーシップでした。カルショーが提示する野心的な音響的ビジョンに対し、技術チームはそれを実現するための革新的な手法を開発することで応えました。彼は明確なビジョンを持ちつつも、その手法は芸術家たちを励まし、コンセンサスを形成していくというもので、レッグのトップダウン的なアプローチとは全く異なっていました。彼は、ショルティやウィーン・フィルと「共に」壮大な目標に向かって進んだのであり、彼らを自らの意のままに動く駒とは見なしませんでした。この協力的な姿勢こそが、デッカ・リングのような巨大プロジェクトを成功に導いた原動力の一つでした。
2.5 代表作に見る哲学の具現
カルショーの革新的なビジョンは、彼が手がけた録音、特にステレオ時代以降の作品群に鮮やかに刻印されています。彼の哲学を体現する二つの傑作は、録音芸術の新たな地平を切り拓きました。

ワーグナー『ニーベルングの指環』(ゲオルク・ショルティ指揮、1958-1965年)
この録音は、単なるオペラ全曲盤ではなく、カルショーの「心の劇場」という哲学が最も壮大なスケールで実現された、録音史上の記念碑です。彼は「ソニックステージ」というコンセプトを駆使し、歌手の動きや特殊な効果音をステレオ空間に巧みに配置することで、リスナーの頭の中に仮想の舞台を構築しました。左右の広がりだけでなく、奥行きを感じさせる立体的な音響設計は、聴き手に圧倒的な没入感をもたらします。この録音は、オーディオシステムの性能を試すリファレンス盤としても広く知られ、そのワクワクするような音響体験は、多くの人々にオーケストラ音楽の新たな魅力を伝えました。商業的にも空前の成功を収め、「史上最高の録音」として今日まで語り継がれています。
ブリテン『戦争レクイエム』(ベンジャミン・ブリテン指揮、1963年)
カルショー自身が「自らの録音の中で最高のもの」と考えていたこの録音は、彼のプロデューサーとしての手腕が、音楽の持つメッセージ性と深く結びついた稀有な例です。彼は、この作品が持つ「和解」というテーマを音で具現化するため、冷戦下で敵対していた西側(イギリスのピーター・ピアーズ、西ドイツのディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ)と東側(ソ連のガリーナ・ヴィシネフスカヤ)を代表する歌手をソリストとして集結させました。作曲者自身の指揮による鬼気迫る演奏と、デッカが誇る録音技術が見事に融合し、作品の核心に迫る感動的なドキュメントとなっています。この録音は、技術的な卓越性だけでなく、深い歴史的、文化的意義を持つものとして、不朽の価値を放っています。
R.シュトラウス:楽劇『エレクトラ』(ゲオルグ・ショルティ指揮 1967年)
『指環』の成功に続き、カルショーとショルティ、ウィーン・フィルが再びタッグを組んだ強力なオペラ録音です。当時最高のソプラノ歌手、ビルギット・ニルソンをタイトルロールに迎え、リヒャルト・シュトラウスの強烈でドラマティックな音楽を、デッカの鮮明な録音技術で余すところなく捉えています。この録音では、『指環』で培われた「ソニック・ステージ」のコンセプトがさらに洗練され、歌手たちの激しい感情のぶつかり合いや、巨大なオーケストラが轟かせる壮絶な響きが、圧倒的な迫力で再現されています。金管楽器の咆哮から繊細な心理描写まで、あらゆる音響的要素が劇的に演出されており、聴く者をギリシャ悲劇の世界へと引き込みます。
第3章:技術革新の軌跡とその影響
3.1 ffrrからffssへ:Deccaの技術的優位
レッグとカルショーの哲学の分岐点を理解するためには、彼らが活動した技術的背景、特にEMIとDeccaの間に存在した歴然とした技術格差を無視することはできません。その格差の源流は、第二次世界大戦にまで遡ります。英国海軍の要請を受けたDeccaの技術者たちは、敵国ドイツの潜水艦(Uボート)のプロペラ音を、友軍のそれと識別するための録音・分析システム開発に着手しました。この識別には、従来考えられていたよりも遥かに高い周波数帯域の音を捉える必要があり、Deccaは前例のない広帯域録音技術を開発します。これが、戦後「ffrr (Full Frequency Range Recording)」として商業化された技術の原型でした。
この軍事研究開発によって、Deccaは戦後のレコード産業において圧倒的な技術的優位性を手にしたのです。彼らのSP盤や初期LP盤は、当時の「ハイファイ」の基準を遥かに超える15,000Hzまでの周波数帯域を誇り、その鮮明さとダイナミックレンジはEMIの製品を凌駕していました。この技術的遺産は、ステレオ時代に入ると「ffss (Full Frequency Stereophonic Sound)」へと発展し、Deccaの音質の高さを象徴するトレードマークとなりました。
この「Decca Sound」を技術的に支えたのが、ロイ・ウォレスとケネス・ウィルキンソンが開発した「デッカ・ツリー」と呼ばれる独特のマイクロフォン配置でした。これは、指揮者の頭上やや後方にT字型に組んだアレイに3本の無指向性マイクロフォン(ノイマンM50)を配置し、さらにオーケストラの左右両翼に「アウトリガー」と呼ばれる補助マイクを設置するものです。この配置は、明確なセンター定位を確保しつつ、豊かで広大な空間の響き(アンビエンス)を捉えることに長けていました。それはまさに、カルショーが目指したスペクタクルな「ソニックステージ」を実現するために誂えられた、完璧なツールでした。
3.2 保守主義と先進性:EMIのステレオへの道
EMIが技術的に劣っていたわけでは決してありません。むしろ、ここには録音史における最大の皮肉が存在します。ステレオ録音の基本原理そのものは、1930年代にEMIの技術者アラン・ブルームレインによって発明され、特許が取得されていました。つまり、EMIはステレオ技術の生みの親でありながら、その商業化においてはDeccaに大きく後れを取ったのです。
この遅延の原因は、巨大企業であったEMIの保守的な経営体質にありました。市場のリーダーとして成功を収めていた彼らは、既存のモノラルというフォーマットを覆しかねないステレオLPの導入に及び腰でした。この企業としての惰性が、同社の首席プロデューサーであったレッグ自身の美学的な保守主義と共鳴し、EMIのステレオ化への道をさらに遅らせる結果となったのです。結果として、EMIは技術的先進性のイメージと初期市場を、野心的な挑戦者であったDeccaに明け渡すことになりました。
3.3 メディアが形作る哲学
これまでの分析を統合すると、レッグとカルショーの録音哲学が、単なる個人の嗜好を超えた、それぞれの企業が置かれた技術的現実と深く結びついた必然的な帰結であったことが明らかになります。
レッグの「完璧なる記録」という哲学は、モノラル録音の長所と限界の中で完璧に機能するものでした。モノラルが得意とする、焦点の定まった、強力で、プロデューサーが完全にコントロール可能な音像は、彼が理想とする「彫琢された」芸術作品を創造するための最適なキャンバスでした。彼の美学全体が、このモノラルというパラダイムを前提として構築されていたのです。
対照的に、カルショーの「心の劇場」という哲学は、モノラル技術では到底実現不可能なものでした。そのビジョンは、ステレオ録音がもたらす空間情報、方向性、そして広がりを絶対的な前提としていました。
この関係性は、それぞれの企業の文化によってさらに強化されました。Deccaがffrrで培った技術的優位性は、社内に革新を尊ぶ文化を育みました。この環境がカルショーのようなビジョナリーを惹きつけ、デッカ・ツリーのような彼の野心を実現するための具体的なツールを提供したのです。一方、EMIの市場における支配的な地位と保守的な企業文化は、レッグの美学的な保守主義を補強する方向に作用しました。成功している既存の方式を、あえて破壊する動機に乏しかったのです。
したがって、レッグがモノラルを「選び」、カルショーがステレオを「選んだ」という単純な図式は、事態の半分しか捉えていません。むしろ、彼らの芸術的世界観は、それぞれが所属するレーベルの技術的優位性や企業文化と共生関係にありました。メディアは単にメッセージを伝えるための乗り物ではなく、メッセージそのものを規定する、不可分な要素だったのです。
第4章:ライバル関係と商業的競争の力学
4.1 EMI対Decca:英国レコード産業の二大勢力
戦後の英国レコード市場は、絶対的王者として君臨するEMIと、野心的な挑戦者であるDeccaという二大勢力によって支配されていました。両社のビジネス戦略は対照的でした。EMIは、その揺るぎないブランドの威信と、レッグが手腕を振るって獲得した世界最高峰のスター演奏家たちの比類なきカタログを強みとしていました。一方のDeccaは、EMIよりも廉価な価格設定と、そして何よりもffrrに象徴される技術的革新性を武器に市場に切り込んでいきました。この競争構造が、レッグとカルショーの録音哲学の対立を先鋭化させる土壌となったのです。
4.2 秘密主義と人材獲得競争
両社のライバル関係の熾烈さは、具体的なエピソードからも窺い知ることができます。例えば、両社の間には、技術的な秘密の漏洩を防ぐため、相手の会社を解雇された技術者はお互いに雇用しないという、非公式の「引き抜き禁止協定」が存在しました。これは、さながら冷戦下における諜報戦のような緊張関係を示唆しています。
さらに象徴的なのは、両社が共に録音会場として使用していたキングスウェイ・ホールにおいて、DeccaとEMIが使用するマイクロフォン・コネクターの配線(オス/メス)が意図的に逆にされていたという事実です。これは、たとえ同じ場所を共有していても、それぞれの技術システムを完全に分離し、独自性を保とうとする強い意志の表れでした。
アーティストの獲得競争も熾烈を極めました。カルショーがキャピトル時代に契約し損ねたクレンペラーを、後にEMIのレッグが獲得し大成功を収めた話は、その典型です。また、レッグが妻であるシュヴァルツコップが出演していたDeccaのバイロイト録音の発売を妨害したのではないかという疑惑は、個人的な関係とプロフェッショナルなライバル関係が複雑に絡み合っていたことを物語っています。
4.3 競争が生んだ録音哲学
この激しい商業的競争は、単なる市場シェアの奪い合いに留まらず、両社の芸術的アイデンティティを形成し、先鋭化させる触媒として機能しました。レッグとカルショーの対照的な録音哲学は、この商業戦争における強力なマーケティング・ツールであり、それぞれのブランド・アイデンティティそのものとなったのです。
市場競争において、製品の差別化は成功の鍵です。当初、スター演奏家の層の厚さでEMIに及ばなかったDeccaにとって、その最大の差別化要因は「音質」でした。カルショーが推進した「ソニックステージ」と、それを具現化した「デッカ・サウンド」は、単なる芸術的概念ではなく、他社にはないユニークなセールスポイントとなりました。Deccaのオペラ録音を購入するということは、EMIでは得られない、技術的かつ演劇的なスペクタクル体験を購入することを意味しました。その究極の製品がデッカ・リングでした。この空前のプロジェクトは、それ自体が新たな市場を創造し、レコードで可能なことの定義を塗り替えました。その売り上げは、エルヴィス・プレスリーのような当時のポップスターのリリースを凌駕したとさえ言われています。
このDeccaの挑戦に対し、EMIは自らの強みをさらに研ぎ澄ませることで応戦しました。レッグの監修のもと、EMIは自社の録音を、世界最高の芸術家による決定的かつ権威ある解釈としてブランディングし、「今世紀最高の録音(Great Recordings of the Century)」というシリーズ名で市場に送り出しました。レッグが追求した「完璧なる記録」は、時代を超越した不変の価値を持つ、EMIブランドの品質保証そのものとなったのです。
このように、哲学的な対立は市場原理によって増幅され、体系化されていきました。ライバル関係は、レッグをより純粋主義的な芸術の守護者へと向かわせ、カルショーをより革新的なショーマンへと駆り立てました。彼らの芸術的信念と、所属企業の商業戦略は、互いに影響を与え合いながら強化されていく、共進化の関係にあったのです。
結論:録音史に残る二つの遺産
ウォルター・レッグとジョン・カルショー。彼らの哲学の違いは、それぞれの代表作の音響設計に最も鮮明に現れています。レッグがプロデュースしたカラヤン指揮の『ばらの騎士』やフルトヴェングラー指揮の『トリスタンとイゾルデ』では、音響はあくまで音楽に奉仕します。そこでは、完璧に磨き上げられたバランスと、各声部が織りなすテクスチュアの透明性が追求され、理想的なコンサートホールで聴くかのような、完成された「音の彫刻」が提示されます。
一方、カルショーが生み出したショルティ指揮の『ニーベルングの指環』やブリテン指揮の『戦争レクイエム』では、音響そのものがドラマを創造する主役となります。歌手がステレオ空間を動き回り、効果音がリアルな情景を描き出すことで、リスナーは単なる聴衆ではなく、物語世界の目撃者となるのです。これは、録音というメディアでしか実現し得ない「音の建築」であり、聴き手の想像力に直接働きかけます。
彼らの対立は、録音という行為の本質をめぐる根源的な問いを我々に投げかけます。レッグは「彫刻家」でした。彼は、理想的な演奏という、既に存在する(あるいは、存在するべき)現実を捉え、それを完璧な形に磨き上げることを目指しました。彼にとって録音とは、その完璧な現実を映し出す、透明でありながらも理想化された窓でした。一方、カルショーは「建築家」でした。彼は、楽譜という設計図を元に、音響という素材を用いて、全く新しい現実を構築することを目指しました。彼にとって録音媒体とは、それ自体がレンガでありモルタルでした。
彼らの遺産は、その哲学と同様に対照的でありながら、共にクラシック音楽の録音史において不可欠なものです。レッグが遺した膨大なカタログは、演奏の品質における一つの基準を打ち立て、今日に至るまで中核的なクラシック・レパートリーの決定的解釈として聴き継がれています。彼は、後世の演奏家たちが参照すべき偉大な図書館を築き上げました。一方、カルショーの仕事は、録音が持ちうる可能性についての我々の期待を根本から変革しました。彼が切り拓いた道は、現代の映画音楽のシネマティックな音響や、イマーシブ・オーディオが提供する没入体験にまで繋がっています。
彼らは、録音芸術に内在する二つの根源的かつ相補的な衝動――完璧な忠実さをもって記録しようとする衝動と、無限の想像力をもって創造しようとする衝動――を、それぞれ極限まで追求しました。彼らの対立と相克は、どちらか一方の勝利に終わることはありませんでした。むしろそれは、後に続くすべての聴き手のために、より豊かで、より多様で、そしてより深遠な遺産を生み出したのです。



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