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ショパンらしさとは何か?:演奏における真正性を巡る考察

  • 執筆者の写真: STUDIO 407 酒井崇裕
    STUDIO 407 酒井崇裕
  • 2 日前
  • 読了時間: 19分

ショパン国際ピアノコンクール
ショパン国際ピアノコンクール_ショパンらしさとは何か?STUDIO 407

序論:コンクールが提起し続ける永遠の問い


5年ごとにワルシャワで開催されるショパン国際ピアノコンクールは、「ショパンらしさ、ショパンらしい演奏とは何か?」という問いが世界的なるつぼの中で改めて問われ、そして答えが出される場として機能しています。本稿は、この問いを深く分析し、「正しさ」という単純な概念を超えて、真正な解釈を定義する複雑に絡み合った要因の探求を目的とします。

この探求の中心には、一見すると対立する力学の間に存在する緊張関係があります。それは、作曲家のテキストへの忠実さを求める客観性と、演奏家個人の芸術的表現の必要性という主観性の間の葛藤です。また、ピリオド楽器や19世紀の史料から得られる歴史的再構築の知見と、21世紀の聴衆のために現代のコンサートグランドピアノで演奏するという現実との間の乖離も存在します。さらに、ショパン音楽の根底にあるポーランド的要素と、それが普遍的なピアノレパートリーの礎石としての地位を確立しているという事実との間の弁証法も無視できません。

本稿が提示するテーゼは、真に「ショパンらしい」演奏とは、静的な理想ではなく、ダイナミックな**ネクサス(結節点)**であるというものです。それは、学術的な厳密さ、歴史への共感、感情の誠実さ、そして規律と深遠さを兼ね備えた芸術的人格が交わる一点に存在します。本稿では、このネクサスを、フレデリック・ショパン研究所の公式な教義、楽譜の権威、歴史的響きの再構築、音楽の感情的核、そして最も称賛された解釈者たちの多様な遺産を通して解き明かしていきます。


第1章 ショパンらしさ ~ワルシャワ・ドクトリン:フレデリック・ショパン研究所のビジョン



作曲家を至上とする基本理念


フレデリック・ショパン研究所(NIFC)の基本哲学は、審査委員長カatarzyna Popowa-Zydroń(カタジーナ・ポポヴァ=ズィドロン)をはじめとする主要人物によって明確に示されており、それは作曲家の絶対的な優位性です。彼女は、求めるピアニスト像として、ショパンよりも自分を優先する人や、作曲家に仕えることなく自分のために音楽を変えてしまう人ではないことを挙げています。これは、演奏家は第一の創造主ではなく、あくまで媒介者であるべきだという明確な倫理的枠組みを設定するものです。


「ショパンになる」こと―共感的理想


ポポヴァ=ズィドロンは、究極の目標は「つかの間、ショパン自身になること」だと示唆しています。これは単なる模倣ではありません。ショパンの手紙、彼の人物像(エレガントで公の場では控えめだが、友人の輪の中では情熱的で機知に富む)、美的嗜好(誇張や野卑な表現を嫌う)、そして感情の風景(内面の浮き沈み、祖国への思慕、孤独感)といった情報に裏打ちされた、深く共感的な没入を意味します。


美学的要請:優雅さと抑制された情熱


ピアニストであり審査員でもあるKrzysztof Jabłoński(クシシュトフ・ヤブウォンスキ)も、この美学を補強しています。歴史的な記述によれば、ショパンの演奏は「並外れた美を持っていた」「繊細で詩的で、絶対に騒々しくならない」ものであったとされています。劇的な場面でさえ、野蛮さを感じさせてはなりません。ヤブウォンスキが論じるように、ショパンは心の苦しみを「静かに、美しさのうちにそれを表現した」のです。これは、過度に感傷的であったり、大げさであったりする感情表現に対する重要な解釈上の境界線を設定するものです。

したがって、ショパン研究所が求める「誠実さ」とは、単なる生の感情の発露ではありません。それは、ショパンの生涯、祖国の歴史、そして彼自身の美意識を深く研究した末に生まれる、知的に裏付けられた誠実さなのです。感情表現は、この厳格で歴史に基づいた枠組みの中で行われることが求められます。


リトマス試験紙としてのマズルカ


マズルカは、演奏家の真正性を試す究極の試金石として提示されます。ポポヴァ=ズィドロンはマズルカを「ポーランドらしさの真髄」と呼んでいます。これを説得力をもって演奏するためには、ポーランドの歴史、すなわち地図から消され、文化だけが避難所となった国の歴史を理解しなければなりません。特徴的なリズム、「歌うメロディ」、そして劇的なレチタティーヴォを模した中断は、「ショパン、ポーランド人」というアイデンティティの直接的な表現と見なされます。マズルカの演奏は、ピアニストの理解が「真実かそれとも仮面か」を即座に暴き出すのです。

このマズルカへの重点は、ピアニストの歴史的知識と、その演奏が「本物」と見なされるかどうかとの間に直接的な因果関係を生み出します。ポーランドの舞踊リズムのニュアンスや、その根底にある国民的感情を捉え損なうことは、単なる技術的な失敗ではなく、芸術的共感の根本的な欠如として解釈されることになるのです。


「受け売りの解釈」の危険性


ポポヴァ=ズィドロンは、現代における録音の模倣という落とし穴について警告しています。それは「個性がなく、記憶に長く残ることも、感情に触れることもない」「平均的で、予測可能で、標準的な」演奏につながると言います。彼女は、楽譜と、そこから生じる自分自身の感情的・知的な反応に立ち返ることを提唱します。その個性は、読書や美術館訪問、そして人生経験そのものによって豊かにされるべきものです。多くの若者は技術的な完璧さを追求するあまり、この精神的な側面を疎かにしがちであると指摘されています。


第2章 ソースコード:テキストの権威とナショナル・エディション



ゴールドスタンダードとしてのエキエル版


ヤン・エキエルが編纂したショパン・ナショナル・エディションは、学術研究の記念碑的偉業であり、ポーランドの国家事業として位置づけられています。コンクールの「使用奨励楽譜」としての地位は、これを数ある楽譜の一つから、現代の解釈における決定的なテキストの基準へと昇格させました。


方法論:「最良の」テキストを超えて


このエディションの強みは、自筆譜、初版譜、ショパン自身の書き込みがある弟子たちの楽譜など、利用可能な全ての一次資料を丹念に照合した点にあります。単に合成されたテキストを作成するのではなく、異稿(ヴァリアント)を提示し、広範な注釈の中で編集上の決定を説明しています。


「演奏に関する解説」と「原資料に関する解説」


エキエル版のユニークな価値は、その二重の解説システムにあります。

  • 原資料に関する解説: テキストの異同を詳述し、ショパンの作曲過程や、時には彼の迷いさえも演奏家に垣間見せます。これにより、演奏家は単一の編集譜に盲目的に従うのではなく、情報に基づいた選択を行う力を与えられます。

  • 演奏に関する解説: 19世紀の慣習やショパン自身の指導法に基づき、トリルや前打音といった装飾音の奏法、ペダリングなどについての手引きを提供します。

このナショナル・エディションは、権威の所在を根本的にシフトさせます。それは権威を、師から弟子へと受け継がれる「偉大な伝統」(例えば「コルトー様式」)から、検証可能な文献的証拠の領域へと明確に移します。これにより、現代の「真摯な」解釈とは何かについての新たな基準が生まれます。歴史的に、ショパン解釈は弟子を通じて受け継がれ、明確な「流派」を形成してきました。しかし、エキエル版をコンクールが推奨することにより、解釈はまずこの学術的テキストとの厳密な対話から始めなければならないというシグナルが送られます。これは暗に、一次資料による裏付けのない大幅な自由を許容する解釈に異議を唱え、それらを「真正」ではなく「個人的」なものとして再定義します。現代のピアニストは、芸術家であると同時に学者であることが求められるのです。


音楽への具体的な影響


ナショナル・エディションは、信頼性の低い古い版に基づいた演奏とは聴覚上明らかに異なる演奏を生み出すことがあります。2010年のコンクール優勝者ユリアンナ・アヴデーエワは、《幻想ポロネーズ》のような作品において、この版が従来の版とは異なるアーティキュレーション、スラー、さらには和声さえも明らかにすることを指摘しました。これらは、平準化された版に慣れた耳には「不協和音」のように聞こえるかもしれません。これは、テキスト研究が抽象的な作業ではなく、音楽に直接的かつ聴覚的な影響を与えることを示しています。

興味深いことに、このエディションが客観的な基盤を提供する一方で、異稿を提示することは、演奏家に新たな主観的選択の層を導入します。楽譜は一枚岩の命令ではなく、可能性のフィールドとなるのです。したがって、「真正な」演奏家とは、奴隷的に従順な者ではなく、エキエルが提供する枠組みの中で、これらの文献的裏付けのある可能性を知性と趣味をもって航海し、自らの選択を正当化できる者なのです。


第3章 機械の中の幽霊:19世紀のサウンドスケープの再構築



ショパンの二つのピアノ:プレイエルとエラール


ショパン自身の言葉から、彼が愛用した二つの楽器を明確に使い分けていたことがわかります。彼は疲れている時や気分が優れない時にはエラールを、気力と体力に満ちている時にはプレイエルを弾いたと伝えられています。これは単なる好みの問題ではなく、楽器の性格と機構における根本的な違いを指し示しています。


音とタッチの特性


  • エラール: より輝かしく、音量が大きく、現代のピアノに近いと評されます。革新的なダブル・エスケープメント機構は素早い連打を可能にし、ヴィルトゥオーゾ的なパッセージに適していました。比較的「扱いやすい」楽器であったと言えます。

  • プレイエル: 柔らかく、繊細で、ある意味「内気」な音色を特徴とします。演奏家がその「心を開いてあげる」必要があり、腕よりも指や手のひらを中心とした、よりニュアンスに富んだコントロールされたタッチを要求しました。


このプレイエルとエラールの違いは、ショパン自身にとってさえ、単一の「ショパン・サウンド」というものが存在しなかったことを明らかにしています。彼の音は、手元にある楽器と彼自身の身体的・感情的状態に応じて変化する、文脈依存的なものでした。この歴史的事実は、今日のショパン解釈における独断的で画一的なアプローチに対する強力な反論となります。ショパン自身が楽器に応じてアプローチを適応させたのであれば、現代の演奏家が、単一の神話的な「真正な音」を追求するのではなく、自分が弾く特定のピアノに合わせてタッチや音色を思慮深く調整することも正当化されるでしょう。目標は、文字通りの音響的複製ではなく、親密さや輝きといった「精神」を達成することになります。

特徴

プレイエル

エラール

音の性格

柔らかく、繊細、「内気」、親密

輝かしく、大音量、パワフル、「現代ピアノに近い」

アクション/タッチ

より軽く、精密な指のコントロールを要求

ダブル・エスケープメント、素早い連打が可能

ショパン自身の使用法

「気分が良く体力のあるとき」

「疲れているとき、気分が優れないとき」

解釈上の示唆

ニュアンスに富み、詩的で親密な作品に適する

ヴィルトゥオーゾ的で、輝かしく、公的な作品に適する


ベルカントの影響


ショパンの旋律書法、特にノクターンは、ベリーニやロッシーニのイタリア・ベルカント・オペラ様式に深く根差しています。長く流れるような、声楽に着想を得た旋律線と、複雑なフィオリトゥーラ(装飾)は、オペラ歌唱の鍵盤への直接的な翻訳です。彼の楽譜におけるcantabile(歌うように)という指示は、最重要の命令です。


現代の演奏家への示唆


パワフルな現代のスタインウェイを弾くピアニストは、プレイエルの音を単純に再現することはできません。その代わりに、親密さ、テクスチュアの明瞭さ、広範な弱音のパレット、そして非打楽的なタッチといった、その音世界の「理想」を理解し、それを自らの楽器で表現する方法を見つけなければなりません。歴史的知識は、現代の美学的選択を方向付けるのです。


第4章 盗まれた時間:テンポ・ルバートの学術的解体



神話の解体


テンポ・ルバートを単に両手をずらして弾くことだとする、ありふれたロマン主義的な観念は、甚だしい単純化です。ショパンの弟子カロル・ミクリらの証言に基づいた研究は、はるかに厳密でニュアンスに富んだ理解を提供しています。


第一の形式:ベルカント・ルバート


これは最も頻繁に引用される、具体的なルバートの形式です。

  • 規則: 左手(伴奏)は、メトロノームのように安定したテンポを保ちます。ショパンの弟子ミクリによれば、ショパンはテンポを保つことにかけては「頑固一徹であった」とされています。動かない木の幹と、風に揺れる葉というリストの有名な比喩は、これを完璧に描写しています。

  • 自由: 右手(旋律)は、雄弁な話し手や偉大な歌手のように、ためらったり、加速したり、余韻を残したりしながら、拍から微妙に逸脱することが許されます。

  • 技術: これは、サン=サーンスのような弟子たちがその困難さを指摘したように、両手の完全な独立と計り知れない技術的コントロールを要求します。


第二の形式:構造的ルバート


これは、パッセージやセクション全体のテンポに影響を与える、より広範なアゴーギク(速度変化)の柔軟性です。ショパン自身は「5分間の曲はきっかり5分で終わらなければならないにしても、細部では、いかようにも自分で調節が効くはずです。これがルバートというものなのです」と語ったと伝えられています。これは表現上の目的で行われるテンポの微妙な揺らぎを指し、最終的には全体としてバランスが取れなければなりません。

この二つのルバートの形式は、互いに排他的なものではなく、異なる音楽的次元で機能します。ベルカント・ルバートは安定した小節内でのミクロレベルの律動的柔軟性であり、構造的ルバートはフレーズやセクションのマクロレベルでの時間的造形です。偉大なショパン弾きは、この両方をマスターしなければなりません。演奏家は、ベルカント・ルバート(右手のかすかな逸脱)を用いながら、同時にそのフレーズ全体をわずかにアッチェレランドさせたり、リテヌートさせたりする(構造的ルバート)ことができます。したがって、ショパンのルバートの洗練された理解には、時間に対する多層的なアプローチが必要となります。課題は、これらの柔軟性の層を、恣意的ではなく、自然で首尾一貫したものに聞こえさせることです。これが、コルトーやルービンシュタインのような偉大な演奏家の「自然なルバート」が、しばしばその特徴として挙げられる理由を説明しています。


歴史的ルーツ


この概念の起源は18世紀イタリアの声楽理論書にまで遡ることができ、ベルカント歌唱の伝統と直接結びついています。これは、ショパンのピアノ音楽が声楽的なレンズを通して理解されなければならないという考えを補強するものです。


ロマン主義的過剰との区別


ショパンのルバートは、同時代の演奏家たちの間で一般的だった、より誇張された感傷的なテンポの揺らぎとは一線を画していました。彼の弟子は、装飾的なパッセージは感傷的なリタルダンドではなく、むしろ終わりに向かってわずかなアッチェレランドで演奏すべきことが多いと記しており、ショパンが当時の流行とは異質な存在であったことを示しています。


第5章 花束の中の大砲:ポーランドの魂と「Żal」の感情的核



翻訳不能な感情「Żal」の定義


ポーランド語の「Żal(ジャル)」という言葉は、ショパンの感情世界を理解する上で極めて重要です。それは単なる悲しみではなく、悲哀、無念、後悔、郷愁、憤り、そして抑えられた怒りまでもが複雑に混ざり合った感情です。それは亡命者の特有の痛みであり、失われた祖国と過去への「痛恨の念」です。ショパン自身、この言葉は翻訳不可能だと語ったと伝えられています。


伝記的・国民的経験としての「Żal」


この感情は、1830年の11月蜂起直前にポーランドを離れ、二度と帰ることができなかったショパンの伝記と、侵略と分割に苦しんだポーランド自体の歴史と分かちがたく結びついています。彼の音楽は、この個人的かつ集団的な悲哀の器となりました。死後、彼の心臓がワルシャワに返還されたという有名な逸話は、この断ち切れない絆の究極の象徴です。


シューマンの「花束の中に隠された大砲」


ロベルト・シューマンは《作品2》の変奏曲評で、ショパン音楽の二面性を完璧に捉えました。「花束」は音楽の優雅で、輝かしく、美しい表面を表し、「大砲」はその根底にある革命的な情熱、愛国心、そして「Żal」の深い井戸を象徴しています。

この「Żal」という概念は、ショパン研究所が要求する「ポーランド史の理解」と、音楽の実際の感情的内容とを結びつける重要な鍵を提供します。それは、演奏家が使いこなさなければならない特定の感情のカラーパレットです。ショパンを一般的な「悲しみ」で演奏することは的を外しています。演奏家は、「Żal」の特有で複雑な味わいを伝えようと努めなければなりません。


音楽的顕現


「Żal」は抽象的な概念ではなく、音楽の中で聴き取ることができます。それは、長調から短調への頻繁な転調、切望するような溜息をつく旋律的な前打音、叙情的なパッセージにおける突然の劇的な中断、そしてポロネーズの英雄的で反抗的な性格やマズルカの郷愁に満ちたメランコリーの中に聴き取れます。

演奏家が「Żal」を理解しているかどうかは、音楽の二面性の解釈に直接影響します。「Żal」を理解していなければ、《英雄ポロネーズ》の中間部のような「大砲」は単なる誇張された表現として演奏され、繊細なノクターンの主題のような「花束」は単なる感傷として演奏されるかもしれません。しかし、「Żal」を理解していれば、演奏家は誇張表現の中に英雄的な反抗心を、感傷の下に深遠な悲哀を明らかにすることができ、シューマンの有名な言葉の両側面を結びつけることができます。それは音楽を、対照的な気分の連続から、統一された、心理的に複雑な表明へと昇華させるのです。


第6章 解釈のパンテオン:ショパン演奏における4つのケーススタディ



前提


「ショパンらしい」在り方には、単一の正しい方法というものは存在しません。本章では、それぞれ異なるアプローチで「真正」と称賛されてきた4人の伝説的ピアニストを分析し、解釈の妥当なスペクトラムを示します。


6.1 アルトゥール・ルービンシュタイン:高貴なる古典主義者


  • 人物像: しばしば、健康的で男性的、そして貴族的なアプローチで特徴づけられます。彼の演奏は「幸福、希望、喜び、安らぎ」といった資質を体現しています。

  • スタイル: 感傷性を排した、直接的で心からの感情表現。彼のルバートは自然で完璧に判断されており、「ここぞというところ」でのみ用いられ、「演出ではなく心からのもの」と感じさせます。フォルテでも決して打楽的にならず、美しい豊かな音色を保ちました。

  • 二面性: しばしば「健康的な」ショパンの体現者と見なされますが、特に故国ポーランドでのライブ録音は、「悲壮感、抵抗精神」「悲哀の色」といったより深い層を明らかにし、音楽の悲劇的な核とのつながりを示しています。彼のマズルカは、ポーランド精神への生来の理解から、決定版と見なされています。


6.2 アルフレッド・コルトー:詩的幻想家


  • 人物像: ピアノの典型的なフランスの詩人であり、非常に個人的で、即興的で、「幻想的な」スタイルで知られています。

  • スタイル: 「軽く美しい音色」と「詩的で自然なテンポルバート」を特徴としています。彼の解釈は、音符の完璧な正確さよりも、音楽の「魂」を捉えることに関心がありました。「純粋な知性」を持ち、音楽を自発的で生き生きと響かせる能力で称賛されました。

  • 楽譜との関係: ショパン作品の尊敬される校訂者でありながら、彼自身の演奏は、表現目的のためにショパン自身の運指を変更するなど、かなりの自由を許容しました。これは、芸術家のビジョンが最優先された、より古い解釈の流派を代表しています。


6.3 マルタ・アルゲリッチ:火山的気質


  • 人物像: 伝説的な超絶技巧と、一見すると抑制のない情熱的な気質で定義されます。

  • 核心的矛盾/統合: 彼女の演奏は、一見相反する言葉で評されます。一方では、ショパンの詩情に新たな彩りを加える「奔放と情熱」があります。他方で、彼女は「決してやり過ぎず、崩し過ぎず、絶妙なバランス」を保ち、「甘さ控えめ」な解釈を生み出します。

  • 解決: この統合は、彼女の完全な技術的支配力にあります。それにより、彼女は計り知れないエネルギーと情熱を、音楽の構造を破壊することなく、その内部に注ぎ込むことができます。彼女のダイナミズムとリリシズムは、緊張感のあるスリリングなバランスで保たれています。その情熱は混沌としているのではなく、深遠な音楽的知性によって焦点が定められ、方向付けられているのです。


6.4 クリスチャン・ツィメルマン:知的建築家


  • 人物像: 深く知的で、分析的で、構造的に首尾一貫した解釈で知られる完璧主義者です。

  • スタイル: 彼の演奏は、音楽の「繊細な織物のような構造」を明らかにし、音の全ての層が細心の注意を払ってコントロールされ、バランスが取られています。彼は「演奏技術と詩情とをどうすれば融合させられるのか、つねにその手本を示す」と評されています。これは冷たく学術的なものではなく、同胞であるショパンへの深い共感と詩的情緒を宿すための建築です。

  • 実例: 協奏曲の録音では、オーケストラを単なる伴奏と見なすことを拒否し、鍵盤から指揮をすることで、統一された劇的構想を創り出し、独奏パートと同じくらい真剣にオーケストラパートに取り組んでいます。


これら4人のピアニストは、ショパン演奏の核心的な緊張関係をいかに解決できるかについて、異なる有効な道筋を示しています。ルービンシュタインはポーランド精神(Żal)と古典的形式を、コルトーは主観的な詩情をテキストの忠実さより優先し、アルゲリッチは極端な情熱と客観的な構造統制を統合し、ツィメルマンは客観的な構造分析と深い主観的共感を融合させました。これは、ショパンのネクサスへの道が一つではないことを示唆しています。真正性は、これらの核心的要素の異なるバランスを通じて達成されうるのです。これはショパン解釈の多元的な見方を正当化し、コンクール審査員の役割が唯一の「正しい」演奏家を見つけることではなく、その世代にとって最も説得力があり、内的に一貫した統合を提示する若い芸術家を見極めることであることを示唆しています。


結論:統合に向けて―現代のショパン解釈における動的バランス


「ショパンらしい」演奏とは、定式化されたものではなく、均衡状態です。それは以下の要素の統合を要求します。

  • 知的・学術的基盤: ナショナル・エディションのような最良の学術研究に根差した、テキストへの深い敬意。

  • 歴史的想像力: 19世紀の音世界(ピアノ、オペラの影響)への意識。それは現代の美学的選択を方向付けます。

  • 技術的熟達: 美しく歌う音色を生み出し、ニュアンスに富んだルバートに必要なコントロールを可能にする洗練された技術。

  • 感情的・文化的共感: 音楽の感情的核、特にポーランドの概念「Żal」への深遠なつながり。

  • 規律ある主観性: 常に作曲家の精神に奉仕しながら、内側から音楽を照らし出す、独自の芸術的人格。

「ショパンらしい」の定義は静的なものではありません。原典版や歴史的演奏様式の台頭は、コルトーの時代と比較して、今日の演奏家に期待される基準をシフトさせました。現代の理想は、おそらくより要求が高く、芸術家が学者であり、歴史家であり、詩人であることを同時に求めるのです。

最終的に、「ショパンらしい」演奏の究極の尺度は、ショパン研究所の哲学が示唆するように、その誠実さと、心に直接語りかける能力にあります。演奏家がテキスト、歴史、感情のネクサスを巧みに航海したとき、その結果は学術的な演習ではなく、時間を超越し、作曲家の真の声で語りかける、生きた芸術作品となるのです。

コメント


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