AIはプリンスの“歪んだ”ボーカルを創れるか? — 完璧な時代にこそ問われる、AI時代における人間の創造性
- STUDIO 407 酒井崇裕

- 6月27日
- 読了時間: 7分
更新日:6月29日
ちょっと立ち止まって考えたい「AI時代におけるクリエイティビティ」
世はまさにAI時代。ほんの数年前まで「AIの創作物など、人間の手業には及ばない」とどこか高を括っていた我々の目の前で、今、シリコンが駆動するそのパワーは瞠目すべき進化を遂げています。かつてインターネットが初めて登場し、実生活に浸透していったあの熱狂と少しの戸惑いにも似た感覚。AIもまた、同じ道を辿ることはもはや自明の理でしょう。
こうした時代の大きなうねりの中で、私たちクリエイターが生み出す価値は、一体どう変わっていくのでしょうか。少しだけ足を止め、深く考えてみたくなりました。
テクノロジーとの「主従関係」が終わる時?
これまで音楽制作の現場において、テクノロジーは一貫して「完成度」を高めるための、いわば忠実な従者でした。音の物理的な質感の向上、新たな空間表現の開拓、編集技術による洗練の極み。そのベクトルは常に、より完璧な作品を目指すためのものでした。主役はあくまで人間であり、テクノロジーにインスパイアされることはあっても、両者の主従関係は揺るぎないものだったはずです。
AI時代における人間の創造性
しかし、AIの登場は、その関係性を曖昧にし、あるいは逆転させる可能性すら秘めています。AIが生成する、目を疑うほどの完成度、洗練されたテクスチャ、そして説得力のある物語性。黎明期と言える2025年の今でさえこの状況なのですから、この流れは今後ますます加速していくに違いありません。いったいAI時代における人間の創造性とはどうなっていくのでしょうか?
この状況は、古くから多くの物語が描いてきたテーマと重なります。リラダンの小説『未来のイヴ』、ゲーテの『ファウスト』に登場するホムンクルス、映画『2001年宇宙の旅』のHAL9000や『ブレードランナー』のレイチェル。そして日本のアニメに目を向ければ、手塚治虫が描いた『鉄腕アトム』や、士郎正宗原作の『攻殻機動隊』など、枚挙にいとまがありません。
これらの物語には共通して、どこか背徳的で甘美な香りが宿っています。そのルーツは、旧約聖書の創世記にある「神は自分に似せて人間を造った」という記述にまで遡れるのかもしれません。今度は人間が神に代わり、自らに似せたクリーチャーを創造しようというのです。現代において、一部のロボティクス企業が嬉々として美女ロボットを披露する姿を見るにつけ、私たちの心の奥底に眠る、タブーを犯したいという暗い情念が刺激されているのではないか、とすら思えてきます。はたしてAIは、自らの意思で「禁断の木の実」を口にするのでしょうか。
AIとの対決か、共生か、あるいは全く新しい価値創発の地平か?
少し話が逸れましたが、この根源的な問いは巡り巡って、私たちの本題に繋がってきます。完璧で美しいアウトプットを誰もが瞬時に手にできるようになった時、私たち人間は何を差し出せるというのでしょうか。AIとの対決か、共生か、あるいは全く新しい価値創発の地平を見出すのか。そんなことを考えていた時、ふと、忘れられない記憶が蘇りました。創造性とは何か、その本質を体感させてくれた、ある夜の出来事です。
とても幸運なことに、1990年、六本木にあったワーナースタジオで、来日していたPrinceのレコーディングをサポートしたことがありました。その時のエピソードを彼が亡くなった年にFaceBookに投稿したところ、多くの方から反響がありました。今の時代にも何かのヒントを与えてくれるような気がしますので、今一度、ここに掲載したいと思います(ちょっとラフな文章ですが、雰囲気は伝わると思います)。
Princeも逝ってしまった。時間経過の脚色がついてしまっているかもしれない想い出。イメージとはちょっと違う一面もありました。
「まずい!ヴォーカルが歪んでる。。」
90年、ワーナースタジオでの一コマ。
来日した際、殿下が急にレコーディングをしたいと言い出して、都内のスタジオを探すも、どこも空がなく、六本木のワーナースタジオでレコーディングすることになったのだった。
「本当に彼がやってくるのか?」半信半疑で準備を進めている間、セッションの指示がFAXで流れてくる。マイク指定や録音テープのメーカー指定、アナログテレコの設定など事細かく書かれたものを見ていると本当にプリンスのレコーディングが始まるのだと実感が湧いてきた。テープはAMPEX 456でNone Dolbyの350nWb/m。「レベル突っ込むのね。うん、うちのテレコはスマートなSTUDERじゃなくゴッツイAMPEXだからテープコンプが効いたいいドラムが録れる」バンド用マイクはスタンダードな指定。VoマイクはU87。慌ただしく準備を終え、待機しているとクルーが到着。セッティングを終えるとサウンドチェック。やたらにドラムがでかい。調整終了。殿下到着を待つもいっこうに来ない。「やっぱり、来ないんじゃないか?。。」
深夜12時頃。
「うわぁ~、本当に来ちゃったよ~。。」
一階がラーメン屋で決して洒落た環境とは言えない雑踏の中のスタジオに無言でスタジオ入りするPrinceを観るのは不思議な気分。
殿下は演奏しながら歌いながら、エンジニアも自分でする。何かあった時に呼び出されるという恰好。ベーシックトラックが終わって、ダビングに入った時に、呼び出された。
「これ、何?(もちろん英語で)」
普段はアシスタントが座るテレコ前の椅子にチョコンと座ってのご質問。当時のスタジオのテレコはSTUDER A820が主流で、うちのAMPEX MM1200は異端。操作もちょっとイレギュラー。舞い上がってしまって、つたない英語で一生懸命に説明していると、じっと目を見ながら、なんとニッコリするではないか。。
この人、目が透き通るように綺麗だなぁ。
この話を後でディレクターさんに話したら嫉妬された。
「俺なんか担当になって一言も話したことないよぉ!」
エンジニアの役得。スタジオワークは共通言語で話せる。
セッションも順調に進んで行くかに思われたが、ある曲で、冒頭の場面に出くわす。ヘッドアンプの設定レベルは標準より、やや低めに設定してあったのだけれど、想定外にマイクに接近して歌う殿下の声が歪んで聞こえてきたのだ。ハラハラしながら様子を伺うがあまり気にしている様子もなく、致命的なことにはならなかったよう。スタジオ内を眺めていると、なんだか、高校生のバンド練習のようにとっても楽しそう。本当にレコーディングが好きなんですね、この人。
そうこうしているうちにシェフが食事をもってスタジオ入り。料理はよく分からなかったけど、食後にドリトスをつまんでおりました。
明け方まで、何曲録っただろう。そろそろ終わりかなという雰囲気になって、モデル風の美女がやってきた。バンドメンバーを追い出して、暗くしたスタジオで二人っきりで今日録音した曲を爆音でプレイバックしている。
「どう?僕の曲」ってな感じ(笑)。かわいいじゃないか!子供だわ(失礼)。
それから数か月、あがってきたサンプル盤を見てびっくり、3曲も入ってる!Recorded at Warner Pioneer Studio Japanのクレジットもしっかり入っている。
あの歪んでしまったヴォーカルは?ドキドキしながら聞いてみる。そのままのテイク。あの時のテイクを生かしたんだぁ。。
今聴いてみると歌っている内容にフィットしてとてもいい。
切ない感じ。今の世相も表現している気もする。
とても素敵な時間を過ごさせていただきました。
ご冥福をお祈りします。
アクシデントさえも刻印する、人間の創造性
当時はもちろん、デジタル技術が進展し、デジタル処理や編集も当たり前に行われていた時代でした。
このセッションでは、アクシデントさえクリエイティブに昇華してしまう、彼らが生きた時間、彼らが存在した空間、彼らの創造の営みが刻印されたのだと思います。完璧さを追求する技術がある中で、あえて不完全な「歪み」を選び取ったプリンス。その判断こそ、AIには決して真似のできない、人間ならではの創造性の輝きではないでしょうか。
AIという完璧な鏡に映し出された、不完全で、予測不能で、だからこそ愛おしい私たちの創造性。その価値を問い直すとき、答えは意外にも、スタジオの片隅で起きた小さな奇跡の中に隠されているのかもしれません。



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