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執筆者の写真Takahiro Sakai

1843年製 プレイエル レコーディング 藤井亜紀さん

更新日:2021年8月20日

10月5日から7日にかけて1843年製 プレイエル(タカギクラヴィア所蔵)でのレコーディングをしてきました。ピアニストは藤井亜紀さんです。

1807年にフランス・パリで創業したプレイエル社は、数多くのピアノ製作を手がけたピアノメーカーです。今回、レコーディングに使用したピアノは、ショパン33歳の頃に製造されたピアノ「No.10456」で、今日でもほぼオリジナルの状態を保っています。ショパン本人が語った言葉、”気分がのらない時は、エラールを弾く。そこにはいくらでもお気に入りの音色を見つけだすことができる。でも、最高に気分の乗っているときには、プレイエルのピアノでなければならない。” は、広く知られていますが、この言葉の裏には、両ピアノのアクション機構の違いの影響を垣間見ることができると思います。

リストを広告塔にピアノ工房を発展させたエラール社は、ピアノ進化の歴史に重要な数々の発明をしていますが、その中で最も重要なもののひとつに、1821年に特許が下りた「ダブル・エスケープメント」装置があります。これは鍵盤が半分ほど戻った時に既に次の打鍵ができるように工夫されたもので、この装置によってはじめてトリルやトレモロなどの連打がピアノの鍵盤ですばやく出来るようになりました。つまり現代ピアノに繋がるアクション機構の原型がこの時に完成されたのであって、これによって、ピアノ音楽の表現と演奏技術の可能性が大きく開かれたエポックメイキングな発明でした。

一方、カミーユ・プレイエル(1788-1855)はハイドンに学んだ優れた音楽家でした。フランス革命により音楽家としての活動が困難となり、1807年にプレイエル社を設立しピアノ制作を始めました。芸術擁護者としてショパンの良き理解者であったプレイエルは、ショパンに相応しい音色を追究しました。ダンパーペダルの発明や、それまで木製であったフレームに金属フレームを採用するなどピアノ製造史上に大きく貢献するとともに、ロマン主義時代の作曲家の要望に応える豊かな音色を持つピアノを世に送り出しました。それまでオーケストラ代用楽器の役割の色が濃かったピアノを、独立した楽器として扱い、ピアノ固有の響きとタッチ、音色の多様性を追及して、ニュアンスの微妙な表現を可能にしました。

今回レコーディングに使用したプレイエルは1843年製。そうしたピアノ進化のただ中につくられたピアノであることを思うと、背筋が伸びる思いがします。ショパンと同じ時代の空気を吸っていたピアノ。

レコーディング会場は代官山教会。精神的にも落ち着く静謐な空間でした。ピアノの歴史はリスト登場が幕開けとなって大規模で華々しいコンサートホールの時代を迎えることになるのですが、親しい人々を招いて会話や音楽を楽しんでいた当時のサロンを想起させるような空間で、この会場を選んだのはプロデューサであるタカギクラヴィア株式会社・髙木さんの慧眼であったと思います。内省的で親密に語りかけてくるピアノの響き。



私は演奏者と同じ空間を共有してレコーディングするスタイルが好みなのですが、今回も、ピアニストの藤井さんと一緒にホールで作業を進めました。今回はピアノのコンディションを見張ってくださる髙木さんもご一緒で、曲によって、ピアノの状態を調整したり、藤井さんがイメージしている音色について会話をしたり、同じ空間を共有しながら、求める響きを3人で探っていくレコーディングでした。

録音をしながら、思い出したことがありました。

「人間の舌には味蕾という味を感じる小さな器官がたくさんあって、手で捏ねた餡子はこの味蕾を不均一に刺激するから美味しいですね。機械でこねたやつは、のっぺりしていけません。人間が丹精してこしらえたモノは不均一だけれど絶妙な調和がある。いろんな人がいる世の中と同じで、こちらの方がエキサイティングだと思いますね。」寺垣武さんの研究所を訪ねたとき、印象に残ったお話。

「透明な音を創ろうとして、ノイズをどんどん減らしていったら、どうもしっくりしない。それで逆にノイズをちょっと足してみたんです。そうしたら、ほんとうに限りなく透明な音になって。実験室にある純水を飲んでも美味しく感じないのと同じです。不純物があるから身体に沁みとおるように美味しい。」冨田勲さんのスタジオにお呼ばれしたときに伺ったお話。

そんなことを思い出した3日間でした。

レコーディングした音源は、現在、編集作業に入っており、近くCDとしてリリースされます。多くの方に聴いて頂けらと今から楽しみです。

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