横浜緑園都市音楽祭2025 ~久元祐子さん~
- STUDIO 407 酒井崇裕

- 1 日前
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2025年4月18日から20日にかけての3日間、「横浜緑園都市音楽祭2025」がピアノクリニックヨコヤマにて開催されました。この音楽祭は、国内外の第一線で活躍されている卓越した音楽家を招き、サロンコンサートの形式で行われるものです。間近で奏でられる音楽の息づかいやダイナミズムを全身で感じられる、まさに贅沢なひとときとなりました。

最終日となる20日には、ピアニストの久元祐子さんが《ベートーヴェン・チクルス Vol.3》と題して4曲のピアノ・ソナタを演奏されました。プログラムは以下のとおりです。
ピアノ・ソナタ第2番 イ長調 Op.2-2
ピアノ・ソナタ第7番 ニ長調 Op.10-3
ピアノ・ソナタ第11番 変ロ長調 Op.22
ピアノ・ソナタ第12番 変イ長調 Op.26
会場となったサロンには、一般にはなかなか目にすることのない希少なピアノが数多く並べられています。その中から、いくつかの名器をご紹介いたします。
〇ブリュートナー創業50周年記念モデル ジュビリー(1905年製)
世界的な巨匠ピアニストであった故イェルク・デームス氏から、横山ペテロさんが受け継いだピアノ。この関係の物語は、ある危機的な状況から始まります。デームス氏は、ウィーンの調律師が自身のグランドピアノに施した調整に激怒していました。その場に居合わせた横山さんは、デームス氏から「お前、直せるか」という挑戦を受けます。横山さんは、失敗すればその場で解雇されることを覚悟のうえでその挑戦を受け入れ、5日間にわたる懸命な作業の末、デームス氏を大いに満足させる結果を出し、ピアノを復元することに成功しました。
〇タローネ
イタリアのピアノ製作者チェーザレ・アウグスト・タローネが生み出したピアノは、その希少性と、20世紀最高のピアニストの一人であるアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリとの深い結びつきによって、「幻のピアノ」として特別な地位を確立しています。市場に出回っているタローネは非常に少なく500台~700台程度と言われています。タローネ・ピアノは、単なる楽器ブランドではなく、一人の職人が生涯をかけて追求した音響哲学の物理的な結晶なのです。
〇エラール(1895年製 )
エラールの最も重要かつ画期的な発明は、疑いなくダブル・エスケープメント・アクション機構です。このメカニズムの核心は、鍵盤が完全に元の位置(静止位置)に戻る前に、ハンマーが次の打鍵のためにリセット(落下)できる点にあります。エラールは初期のフォルテピアノと現代のコンサートグランドピアノとの間のギャップを埋める19世紀の音楽における変革の触媒として重要な役割を果たしました。
〇ブリュートナー:フルコンサートモデル / ピアニーノ(アップライトピアノ)
ドイツ・ライプツィヒに本拠を置く、世界的に著名なピアノ製造会社。ブブリュートナーの音色を表現する上で最も頻繁に用いられる言葉の一つが「歌うような(singing)」です。これは、20世紀最高の指揮者の一人ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが「ブリュートナーピアノは真に歌うことができる。おそらくこれは、楽器に呈する讃辞として最高のものである」と述べました。創業年である1853年は、奇しくもスタインウェイやベヒシュタインといった他の主要メーカーが設立された年でもあります。

開演前のリハーサルでは、久元さんが整然と並ぶ名器の前で、一台ずつ音を確かめながら演奏を重ねていらっしゃいました。曲調や響きのイメージを探るように、ピアノを弾き比べながら試奏されるその姿は、まさに音を探求する音楽家そのものでした。選び抜かれた名器に囲まれながら、嬉しそうに音を確かめておられたのが印象的です。
本公演で演奏されたベートーヴェンのピアノ・ソナタは、まさに新しい発見の連続でした。聞き馴染みのある旋律も、曲想に合わせて選ばれたピアノによって全く異なる表情を見せます。通常では考えられないことですが、第1楽章を明るい響きの新しいブリュートナーで、第2楽章をしっとりと深みのあるブリュートナー・ジュビリー(1905年製)で弾き分けるという試みも披露されました。
曲の合間には、ベートーヴェンが作品を作曲した当時の社会状況や心情、創作の背景などが語られ、音楽と語りが織りなす立体的な体験が会場を包み込みました。会場には小さなお子様からシニアの方まで幅広い年代の方が来場され、久元さんの分かりやすく丁寧な語り口に温かい人柄が感じられました。即興のレクチャーの後、すぐにその曲を極上の演奏で体感できるという、この音楽祭ならではの贅沢なひとときとなりました。とくに小さなお子様にとって、目の前で繰り広げられる音楽世界と響きの体験は、心に残るかけがえのない思い出となったことでしょう。
濃密なベートーヴェンのプログラムが終わった後は、アンコールとして穏やかで和やかな時間が流れました。久元さんは最前列の小さな女の子を招き、アップライトピアノで《エリーゼのために》を演奏。会場全体が音楽を分かち合うような温かい空気に包まれました。この光景こそ、音楽祭の精神を体現する特別なひとときだったといえるでしょう。
当日のアンコールの様子を、少しご紹介いたします。
「エリーゼのために」
「トルコ行進曲」
ワルツ「酒・女・歌」


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