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  • Takahiro Sakai

代表的な世界のピアノ・メーカー 豆知識 ④ ヨーロッパ編


日本、ドイツ、アメリカとピアノ大国を綴ってきましたが、今回は、ドイツを除くヨーロッパのピアノについてご紹介していきます。具体的には、オーストリア、イギリス、フランス、イタリア、チェコ等の国々です。オーストリアは現代の3大ピアノ・ブランドの一つであるベーゼンドルファーがあり、イタリアはピアノを初めて発明したクリストフォリが生まれた国、イギリスは旧来のピアノの機構を改革し近代ピアノの基礎を築いたブロードウッドがあり、また、フランスはショパンに愛されたプレイエルとダブル・エスケープメントという連打を可能にするアクションを発明したエラールがあり、ピアノの歴史上、ヨーロッパは重要な役割を果たしてきました。

ピアノは、1709年イタリアのクリストフォリが発明したというのが定説となっていますが、発明当時はチェンバロを発展させ、音の強弱を出すことが出来るチェンバロという位置づけでした。その後、様々な技術的進化を経て現代ピアノに至る訳ですが、ヨーロッパのピアノ・メーカーは、当時の作曲家とともにエポックメイキングな発明に関わってきたと言えます。

バッハが当時のピアノに触れたのかどうかは不明ですが、ヘンデルはクリストフォリのピアノを弾いたと伝えられていますし、ハイドン(1723~1809年)、モーツアルト(1756~1809年)は発展途上であったフォルテピアノ・スクエアピアノを使用して作曲したとされています。その後に続くベートーヴェン、リスト、ショパン、シューマンなど、作曲家のイメージした音楽的要求に応える形でピアノは技術的に進化し、その進化したピアノによって新しいピアノ音楽が生まれてきたと言えるでしょう。

1.ベーゼンドルファー(Bösendorfer):オーストリア

http://www.boesendorfer.com/

スタインウェイ、ベヒシュタインと並んで世界の3大ピアノ・メーカーであるベーゼンドルファーは、1828年にイグナッツ・ベーゼンドルファーによって創立されました。創業の地であるウィーンは当時のヨーロッパ文化中心の一つで、数多くの作曲家や音楽家が集う場所でした。音楽の都で誕生したベーゼンドルファーは数多くの大作曲家、巨匠と呼ばれるピアニストの助言によって研究と改良を重ね続け、「ウィンナートーン」と呼ばれる美しい音色を生み出しました。ベーゼンドルファーの作るピアノは質が高く、工房を持った翌年にはウィーン市長からピアノマイスターの称号を、さらには、オーストリア皇帝フランツ1世から、「宮廷及び会議所に御用達のピアノ製造業者」という称号を与えられました。

ベーゼンドルファーのピアノを一躍有名にし、こよなく愛用した人物はフランツ・リストと言えるでしょう。当時ウィーンにいた若き日のリストは、その演奏会で凄まじい演奏に耐え得るピアノが無く、たいがい1回の演奏会で演奏不能にしてしまうのが常でした。友人の紹介でベーゼンドルファーを試弾したところ、彼の凄まじい演奏に見事に耐えたばかりか、少しも音の狂いも見せず、早速演奏会に使用して大成功を収めた事から、一躍ベーゼンドルファーの名が広く知れ渡りました。同じようなエピソードはベヒシュタインにも伝わっていますので、リストという人は、たいへんなピアノ職人泣かせであるばかりか、激しい演奏でも耐えうる頑丈なピアノ作りにも大きく寄与した人物であったことが分かります。

ベーゼンドルファーも多くのピアノ工房と同様、第二次大戦により多大な被害を受け、それを乗り越えたかに見えましたが、1966年、アメリカのキンボール社に買収されました。その後、2002年オーストリアの銀行BAWAGP.S.Kグループにより、再び本国に戻りましたが、2007年、ヤマハ株式会社に買収され、今日に至ります。

ベーゼンドルファーの特徴として、弦の高い張力に支えられた華麗な音色の他に、広い音域が挙げられます。ピアノの鍵盤は通常は88鍵盤ですが、モデル225で92鍵盤、フルコンサートグランドピアノ、モデル290"インペリアル"では97鍵盤となっています。これは、演奏の幅を広げるという意味だけでなく、弦の共鳴によって通常の最低音部の約2オクターヴ位の範囲の音色を美しくし、響きに充分な余裕を持たせる為と言われます。また、ケースも楽器として響板同様に響かせるために、響板と同じフィヒテ材の一枚板の内側に多くの切り込みを入れることにより、小さな力でケースの形状に加工する独自の工法を採用しており、リラックスしたケースを響板の延長として響かせるよう工夫がされています。このためベーゼンドルファーは楽器全体がひとつの響鳴体として豊かに響くピアノとして知られています。創業から今日まで熟練した技術者による一貫した手作業にこだわり続けており、創業180年で総生産台数僅か5万台弱(ヤマハは100年で約600万台)ということからも窺い知ることができます。

2.ブロードウッド(John Broadwood & Sons):イギリス

http://www.broadwood.co.uk

ブロードウッドのルーツはロンドンにあったチェンバロメーカーのシュディでした。創始者シュディはスイス生まれの家具職人でしたが、1718年にロンドンを訪れ、チェンバロメーカーで10年以上の修行をし、その特殊な技術を覚えました。ジョン・ブロードウッドは、1752年にロンドンに移り住み、彼はシュディの下で働くこととなりました。彼の才能に目をつけたシュディが娘と結婚させ、ブロードウッド&サンズが誕生しました。ブロードウッドはイギリス最古の歴史を持つピアノ・メーカーです。十八世紀初頭のシュディのチェンバロの工場から始まる長い歴史をたどれば、それがそのまま鍵盤楽器の歴史となり、また音楽史ともなり得るほどのものです。1727年からはその高い技術により、イギリス王室御用達となり、200年以上もの間、その技術を維持し続けています。

ブロードウッドは、ピアノのあらゆる機構の改革をし、近代のピアノを完成させたメーカーと言われています。特筆すべきは、それまで使われていた膝ペダルを、現在のダンパーペダル・ソフトペダル方式に変更したことです。また、木製フレームを金属バーで補強して特許を得たことでも知られ、ピアノを現在の形にしたのはブロードウッドといっても過言ではありません。

ブロードウッドは、才能ある著名な作曲家にピアノを提供しており、その中でも有名なのはベートーヴェンで、ハンマークラヴィーアの第4楽章及び、後期ピアノソナタ109番、110番、111番はブロードウッドで作曲されています。また、ショパンも晩年のイギリス旅行の際、ブロードウッドのピアノを弾き、絶賛しました。

3.エラール(Érard):フランス

エラールの創設者である、セバスチャン・エラールはピアノ史上において、最も重要と言える発明をしています。その中で、「ダブル・エスケープメント・アクション機構」と「アグラフ機構」は最も代表的なものです。「ダブル・エスケープメント機構」とは、それまでのアクション機構では打鍵した鍵盤が完全に戻るまで次の打鍵が出来なかったものが、打鍵した鍵盤が戻る前に次の打鍵を可能にする機構です。これにより敏速な連打奏法が可能となり、ピアノの発展と近代化に大きく貢献しました。「アグラフ」は弦押さえのために使用される真鍮製の鋲パーツで、弦の位置や発音する部分の長さを正確に定め一つの音程ごとに独立した弦押さえをするので、音色が明快になり和音が美しくなる効果をもたらしました。他にも低音部にいち早く巻き線を使用したり、フランスで初めて木製のフレームの枠に金属の補強を入れるなど、新しい取り組みや発明にも柔軟に対応していきました。

エラールの並外れた製作技術は、当時のパリのギルドの嫉妬を買い、ギルドから除外されてしまいましたが、卓抜した社交力を発揮して、フランス・ブルボン王朝のマリー・アントワネットに取り入って、首尾よく「宮廷御用達ピアノ製造業者」の絶大なお墨付きを得ることになります。しかし、フランス革命が勃発し、宮廷側の人物であったエラールも処刑の対象となって身の危険が迫ると、直ちにパリを脱出してイギリスに渡りピアノ製作の研究を続けました。エラールはイギリスでもピアノ・メーカーとして確固たる地位を築き、名実共にヨーロッパ最高のピアノ・メーカーへと成長していきました。

その後、エラールの繁栄は続きましたが、20世紀に入って、アメリカやドイツのメーカーに水をあけられ、世界大恐慌に端を発する1930年代の不況から第二次世界大戦へと突き進む時勢にあって、1959年にガヴォーと合併。1961年にはプレイエルとも合併し、社名が「プレイエル・ガヴォー社」となり、エラールの名前は消えてしましました。1970年にはプレイエル・ガヴォーも倒産。翌年には名門3ブランドはドイツのシンメル社に買い取られてしまいました。

1994年にラモーが、プレイエル、エラール、ガヴォーを買い戻し、「フランスピアノ製造会社」と改称しした後、「PLAYEL&Co.」とし再改称して、往年のブランドが復活して、エラールのブランドで一時期生産が行われていましたが、現在は製造されていません。

4.プレイエル(PLEYEL):フランス

http://www.pleyel.fr/fr

プレイエルはショパンが生涯このピアノを愛好したことで有名です。イグナツ・プレイエルとその息子カミーユによって設立され、1807年にPLEYELを冠した最初のピアノが製造されました。イグナツは幼い頃から天才肌で、作曲やオルガン演奏では優れた名手であったと伝えられています。息子のカミーユは父から会社を譲り受けましたが、彼も父同様に音楽的才能の持ち主で多くの作曲家を支援しました。1827年にはパリにサル・プレイエル演奏ホールを建設し、ショパン、サン・サーンスなど著名な音楽家の演奏会を開き、名声を確立していきました。1855年にカミーユよりオーギュスト・ヴォルフに経営権が引継がれると、パリにあった工場をサンドニに移転し、1866年の最盛期には年間3000台のピアノを生産しました。1887年のヴォルフの死を受け、義理の息子であるギュスターブ・リヨンが経営を引継ぐこととなり、プレイエルはピアノ製造の近代化を推し進めます。そしてプレイエルの経営は、パリのロシュシュアールのショールームの他に、パリ市内に2軒、ブリュッセル、ロンドン、シドニーにそれぞれ1軒ずつ支店を持つまでに成長しました。

1971年にドイツのシンメル社へ買収されましたが、フランス国内でフランス・ピアノの再興の気運が高まり、フランス政府からの援助も得て1995年にドイツ・シンメル社から商標を買い戻し、フランスに新生プレイエル社が発足して正式にその復活を果たしました。

5.ファツィオリ(fazioli):イタリア

http://www.fazioli.com/

イタリアはピアノを初めて発明したクリストフォリが生まれた国ですが、ファツィオリは150年~200年あまりもの伝統を持つ数あるヨーロッパのピアノ・メーカーの中で、飛び抜けて新しい会社で、創立は1978年。驚異的なスピードで成長し世界的に最も注目されているピアノ・メーカーです。

創業者パオロ・ファツィオリ(Paolo Fazioli)は1944年ローマ生まれ。1969年ローマ大学で工学学士の学位を取得し、1971年にペーサロ市のロッシーニ音楽院でピアニストとしての学位を取得したのに続き、ローマ音楽院で作曲家を学び、作曲の修士学位を取得しました。彼の父親は、ローマで家具工場を営んでいましたが、パオロは大学卒業後直ちに家業に加わり、木材加工について科学的な知識を身につけて専門家となりました。こうして設計、製造技術に自信をつけ、パオロはグランドピアノを作るというプロジェクトに乗り出します。彼はまずピアノという楽器の能力と性能を分析しながら、ピアノ製造の詳細にわたる研究を進め、自分が造りたいピアノの全ての要素を明確に決めていきました。そして、最先端の音響技術と素材研究から考案した様々な設計の改良を加えることで、最高の楽器の製作を目指します。

1978年、サチーレ市の家具工場の一角に、「ファツィオリ・ピアノ工房」を開設。この工場では豊富な木材や、研究や分析のための施設もあり、さらに専門的な職人等の全ての条件が満たされていました。

1981年1月にFazioli s.r.l.社が設立され、F156、F183、F278の3機種を業界及び報道機関に発表。2月にはフランクフルトムジークメッセで発表され、翌年2月の同メッセには、上記にF228を加えた4機種が公開されました。アルド・チッコリーニ、アルフレッド・ブレンデル、マルタ・アルゲリッチ、ウラディーミル・アシュケナージ、ラザール・ベルマン、ニキタ・マガロフ、ミシェル・ベロフ、アニー・フィッシャー、ルイ・ローティ等の著名なピアニストたちがファツィオリのピアノを弾くようになり、影響力のあるコンサートホールがファツィオリのピアノを購入し始め、ヨーロッパの重要な国々や米国への輸出が始まりました。

綿密な手作業をふんだんに盛り込み、世界で最も高額なピアノとして知られているファツィオリのピアノは、独立アリコート方式や「第4ペダル」など特殊な設計でも知られており、現時点で世界最長サイズF308モデルが特に有名です。機種番号のFに続く数字は、ピアノの奥行きを(cm単位で)表していますので、F308は3m以上の巨大なピアノです。国際コンクールや音楽祭での採用実績も多く、ジュリアード音楽院ではスタインウェイしか学内への納入を認めない体制を解き2010年、ファツィオリを第一線の名器と認定し、ファツィオリの注文を開始しました。

6.ペトロフ(Petrof):チェコ

http://www.petrof.com/

ペトロフの創立者であるアントニン・ペトロフは、父親の建具用の仕事場で最初のグランドピアノの製作を始め、これまでに50万台以上のピアノが製造されています。数々の賞を受賞したペトロフピアノは1935年ブリュッセルで開かれた世界博覧会では最高の栄誉である、グランプリを授与されています。第一次世界大戦後チェコは数百年の悲願であった独立を果たして、チェコスロヴァキア共和国が建国し、そこからの20年間は、中欧の文化圏の一大拠点として数多くの芸術家が活躍した芸術のユートピアを形成しました。ペトロフもそんな環境の下で優れたピアノを作り続けました。しかし、第二次世界大戦後の1949年、チェコスロヴァキアが共産化して社会主義国となり、ペトロフをはじめとする、数社のピアノ・メーカー、オルガンメーカーが統合されピアノ/オルガン国営企業が創設されました。この頃に生産されたピアノの品質はあまり評価されていないようです。

しかし、1989年のソビエト連邦崩壊によって新たな展開が訪れました。チェコも有名な無血のビロード革命により民主化を成し遂げ、再びペトロフ一族の手に経営権が戻り、品質も飛躍的に向上する事になります。とりわけ、CNC旋盤などを導入したことで、より精度の高い工作を可能にし、全てのモデルにレンナーアクション&ハンマー(Renner-PETROF)を導入する事でドイツ製などと遜色のない品質を実現しました。

ペトロフの持つ透明で純度高く澄みきった音色は、ボヘミアの大地が長い年月をかけて育んだ音色と言われています。特に弱いタッチにおいても、その美しい魅力的な音色を発揮します。クラフトマンシップが活きる手作業工程の多いペトロフのピアノは、音質に優れた選りすぐりの天然乾燥木材を用い、現地で約数年の自然乾燥を行い、仕上げに一ヶ月間乾燥室に入れられ、ピアノに最適な木材で作られます。ケースは、べーゼンドルファーと同じく板に切り込みを入れて曲げて製作され、木材を緊張させにくく、木の響きを生かす特徴を持っており、透明で澄み切った音色を生み出す秘密にもなっています。

作曲家とともにピアノ音楽の誕生に寄与したヨーロッパのピアノ・メーカー

チェンバロという楽器を発展させたピアノが誕生して、当時の大作曲家はその響きの多彩さと演奏表現の可能性を追求しながらピアノ音楽を創造してきました。それに呼応するように、ピアノ・メーカーは作曲家・演奏家の望む表現を可能するよう音域の拡張やアクションの改良などを施し、ピアノの可能性を大きく発展させました。ピアノ進化の黎明期においては、近代ピアノの基礎となるエポックな発明の多くは、ヨーロッパの地で行われており、その伝統は現代に引き継がれていると感じます。

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